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研究助成

成果報告

2011年度

西洋からみた日本屏風
― ことばの違いと美の在り方の差異について

東京大学大学院総合文化研究科准教授
寺田 寅彦

 日本文化を代表する美術工芸品の屏風においては、その特異性として折り畳みできる可動性ゆえの便利さと描かれた大図面ゆえの美的価値が従来から指摘されてきた。だがその美の在り方がいかに西洋の美の在り方と異なるかについては、必ずしも研究が深められてこなかったのではなかろうか。モナリザを屏風のように折って地面に立てて置いてしまうとその美の観賞に大きな障害が生じるだろうが、それはなぜなのだろうか、そしてどういう意味を持つのだろうか。
 そこで私達の研究グループは、パリ第7大学所属のCNRS(フランス国立科学研究所)文字図像学研究所メンバーをグループ中核に据えることで、日本の屏風の特質を西洋的文化背景から分析し、日本人による屏風の理解と異なる視点を生かして研究を進めた。完全に発話に依拠する表意文字であるアルファベットの「ことば」中心主義においては、この「ことば」と絵の峻別が明確なものにならざるを得ない。また、屈折語である多くのヨーロッパ語では、アルファベットを用いることにより、そのカテゴリー化・ヒエラルキー化の精神が育まれたが、このような精神性は特にルネッサンス期に数学的で論理的な遠近法を画面構成方法として成立させ、規則と秩序に則った絵画世界を構築させた。そのような絵画作品では、究極にはある一点からしか「本物のような」遠近感のある世界の再構築がなされず、そこに文字と絵の共存は見られない。翻って日本語では漢字と仮名の混用が複雑さを生んでいるばかりでなく、漢字自体が重層的な機能を持っている。漢字は表意文字でありながらも、それぞれの文字が意味だけを表すのではなく、言語の語や形態素を表す形声文字のような文字の在り方も可能にしているからである。このような文化の中では、一つだけの視点からのみ可能になる世界の正しさという一点投影図法のような作品の在り方は軽々と放擲されてしまう。むしろ意匠の創意工夫や字も画も併存する変化自在な空間構成が優先されるのであり、すやり霞や雲形といった伝統的手法もそれを助けているのである。
 私達の研究グループの研究成果は、『日本の屏風―雲の間隙から』という題で2013年にフランスにおいて出版される予定であるが、この「雲の間隙から」という副題が、折り畳まれた屏風の幾枚ものパネルが形成する変化自在な美の在り方を表現している。上述のようなアルファベット文化で発展した一点投影図法の画面では、絵が折り畳まれてしまうと本物のように見える再現性が失われてしまう。ヨーロッパ語の言語の在り方と同じぐらい硬直した絵画世界である。それに反して日本の屏風は、雲の隙間から差す光のように切れ切れの構成要素がある瞬時にのみ存在する一つの美を形作る。自在に折り畳まれる屏風ではパネルは自由に重なり、美の画面を形作っていく。その柔軟性は膠着語である日本語のしなやかさと同じである。
 このような重層的な美は扇においても認められるが、いかに扇職人や絵師たちが扇の折り目やサイズを意識して美を生みだしたかが本研究で検討され、西洋にも存在する扇文化と比較して考察された。西洋においては多くの扇作品で日本的な美意識が欠如している中で、フランスにある「マラルメ嬢の扇」が扇の形を意識した字の書かれ方において、日本の扇の在り方と全く同じではなくても、その美意識には共通点があることが明らかにされた。これは『骰子一擲』の作者である詩人ステファヌ・マラルメならではの文字に対する空間性と支持体への意識から生まれたものに他ならない。また、扇ではないが折り目を生かしたオベルラン図と呼ばれる図が本研究において再評価されるとともに、その美の在り方の限界についても検討がなされた。
 雲の間隙からもれ出づる光が照らしだす日本屏風の美の在り方を明らかにする本研究によって、文字文化の差異から生まれる精神性の違いが西洋にとって屏風の存在を特異なものにしているということを浮き彫りにすることができた。

2012年9月

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