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研究助成

成果報告

2006年度

世界の複数性に関する欧米(英、仏、伊、米)と日本のニュートン主義の比較研究

名古屋大学大学院経済学研究科教授
長尾 伸一

 「世界の複数性」説は、地球外に知的生命が生存する世界が存在することを主張する。それは古代世界に流布し、キリスト教神学の一部に取り入れられていたが、近年の科学史研究によれば、近代では地動説の確立とともに復活し、19世紀初頭にはほぼ知識人の常識となっていたことが判明している。本研究は内外の思想史学で検討されたことがないこの問題を中心として、18-9世紀の欧米(英、仏、伊、米)と日本のニュートン主義の比較思想史的分析を行い、地動説の導入においては遅れをとった清代中国と対比することで、この文化圏を越えた、早すぎた宇宙時代の世界像という18世紀思想の固有の位相を解明し、さらにそれが近代的人間観の形成にどうかかわったか、新しい人間観を構成する上で現代に何を示唆するかを明らかにすることを目的とした。

 その結果、複数性論が18世紀思想の大きな源泉だったニュートン主義的世界観の中核の一つとなっていたこと、しかも地動説の導入で先駆的だった18-9世紀の日本では、「世界の複数性」を含んだニュートン主義的世界像が儒教的自然観と結合して受容され、東アジア的ニュートン主義ともいえる教説となっていたことが確認できた。

 近代天文学の成果によって復活した世界の複数性論は、啓蒙の批判精神を補強する相対主義の宇宙論的根拠を与えることによって、啓蒙思想の文脈的背景となったと考えられる。近代の複数性論は地球以外の惑星上に知的生命を含んだ生命系が存在することを意味するが、一般的に「複数性」とは、人間が知らない統一的な世界が異次元にであれ、宇宙のどこかにであれ存在し、そこには人間と同じ存在や、想像もつかない異なった存在が生存しているという考え方である。この観念に基づけば、人間の思考、観念は、他世界では通用しないかもしれないということになる。言い換えれば、人間にはつねに見たことがないもの、自分が知らないものがあり、どれほど知的探求を繰り広げても、この根源的な存在状況は変わらない。そのため「知らない世界」を想定しながら生きることを余儀なくされる存在である。
 この古代の存在論的な相対主義の視点が、啓蒙の思想、文化を支える一つの文脈となった。これに加えて、ヨーロッパ世界が実際に文化的に異質なものの混合であることも、知性の相対化の運動を支えたと考えられる。単一文化の現実と幻想の上に立脚してきた中華文明と対比するなら、この自己を自己の外に置こうとする離脱衝動(エクスタシス)は、多様な言語、文化、エスニシティの競合と統合として展開してきたヨーロッパ史の特徴に基づいていると想定できる。

(敬称略)

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