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研究助成

成果報告

2006年度

歴史写真の情報学的研究
― 「歴史写真デジタルアーカイブ」の構築研究

東京大学大学院学際情報学府博士課程
倉持 基

1.「古写真」と「歴史写真」
 これまでの我が国の「写真史」分野の研究は、時系列で代表的な写真家の事績を紹介するか、あるいは写真技法の展開に沿って写真の歴史を説くというスタイルが多かった。また、歴史学からの古写真研究においては、「古文書」研究や「古記録」研究を基盤として、画像資料の中の一領域として「古写真」をとらえており、写真の被写体に関心を集中させてきた傾向がある。もちろん、これまでも写真を歴史資料として採用してきた例がないわけではないが、多くの場合、写真は、古文書や古記録、あるいはその他の物品資料をもとに綴られてきた歴史叙述の傍証資料としての域を脱していなかったということが言える。
 しかしながら、写真というメディアにはもっと豊富な情報が埋め込まれているはずである。そこで、かつての研究者が絵巻物や浮世絵を歴史学に取り込んだように、本研究では写真を歴史学に取り込みたいと考えた。

2. 歴史写真における歴史情報
 私達は、本研究を行うに当たり、歴史情報を有する写真のことを「歴史写真」と定義した。これによって、歴史写真は歴史情報を運ぶ器であり歴史情報を今に伝えるメディアであって、それはすなわち歴史資料であると捉えることができるようになる。
 また、歴史写真を歴史情報のメディアであると考えることによって、歴史写真を3つの視点から統合的に眺めていく必要が出てくる。3つの視点というのは、撮影者などの情報の送り手の視点、そして撮られる側の被写体からの視点、写真の閲覧者である情報の受け手という立場の視点である。これらの3つの視点を統合的に扱っていくことで、歴史写真の新たな分析や解読が可能になると考えている。
 実際に3つの視点から調査して得られた情報を統合して読み取れるものは、機械化・都市化が進む以前の近代初期における日本人の文化・風俗・産業などの痕跡である。歴史写真(古写真)に切り取られた映像(光学的画像)には、現代の日本人が失い、または忘れている、太古から連続する日本人の生活の痕跡、すなわち「歴史情報」が埋め込まれているということができる。

3. 歴史写真研究のケーススタディ
 上野彦馬(1838-1904)は「日本写真の開祖」と呼ばれる人物である。本研究のケーススタディとして上野彦馬が撮影した写真を取り上げた理由は、一つには上野彦馬の活動期間の長さが上げられる。日本人が最初に「写真」というものに触れて写真を受け入れ、新たなメディアとして写真が日本に定着していくまでの重要な期間にずっと写真家として活動していたという事実が、写真の変遷を追って行くのに適していると考えたからである。さらには、彦馬の作品が比較的多く残っているということや、彦馬一門には有名な門人が多いという点も上げられる。上野彦馬の作品的特徴というものを掴む上で門人の作品が追えるということは重要なファクターである。したがって、上野彦馬撮影の写真をベンチマークとして他の写真師や作品との比較研究が行えるのではないかとのビジョンに基づいたものである。

4. 歴史写真研究と「作風」
 上野彦馬の作品を歴史写真研究の視点で眺めると、今までの研究とは違った別の視点からの研究が行える。具体的には、上野彦馬の「作風」の研究である。ここで言う「作風」とは鉤括弧付きの「作風」であり、文学や絵画・音楽の世界で通常使われている作風という言葉とは意味合いが異なる。私達は歴史写真における「作風」を、(1)被写体の選択 (2)構図の取り方 (3)撮影技法、と定義した。
 また、この「作風」は写真師の「作家性」によって規定され、写真師の「作家性」を形成する要素として、私達は、(1)社会・時代 (2)地域・場所 (3)身分・職業、を考えている。これらの要素が統合的に混ざり合って作品に表われたものが「作風」であることから、「作風」は歴史情報に属するということが言える。さらには、歴史写真から歴史情報を抽出する作業が歴史写真研究なのだということも言えるであろう。

5. 歴史写真研究の目的
 以上のような点を考慮に入れて、本研究の最終的な目的は、我が国の一大転換期であった幕末・明治期に外国から入ってきた「写真」を日本人は受容し、何かを撮り、他の国では考えられないほどのスピードで全国に普及して一つのメディアとして定着していく過程において、写真師達は多種多様な事象を撮り続けているが、その時代の写真を3つの視点から統合的に研究することで、日本人の国民性や民族性、社会性、あるいは当時の時代性を写真から探れるのではないかと考え、光学的画像資料である「写真」を用いた新たな視点からの歴史記述を行うことにある。

6. 歴史写真研究とデジタルアーカイブ
 上記の研究結果として得られた歴史情報の蓄積として、「歴史写真デジタルアーカイブ」の構築を進めた。歴史写真研究においては、写真の比較・分類・系統化、および画像情報と文字情報との統合が必須である。 本研究では、古地図のビューアとして開発された画像ビューアiPalletnexusを「歴史写真デジタルアーカイブ」に応用することを考えた。
 歴史写真研究においては、メタデータや被写体情報に基づいて写真を比較検討し、その類似性や相違性から写真に関する基本的な情報を得ることができるが、そのためにはビューア上で複数の写真を比較検討する必要がある。「歴史写真デジタルアーカイブ」ではそれを実現するために、ビューア上で2枚の写真を並置して比較検討ができる機能を付加した。
 また、「歴史写真デジタルアーカイブ」の構築作業と並行して、歴史写真概念に基づく写真集『上野彦馬歴史写真集成』(馬場章編,渡辺出版)を2006年7月に上梓した。この写真集成は2006年10月から限定公開された「歴史写真デジタルアーカイブ」と連動して、それぞれの特徴を活かした歴史情報の活用を目指している。

(敬称略)

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