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サントリー学芸賞

受賞のことば

社会・風俗2020年受賞

志村 真幸(しむら まさき)

『南方熊楠のロンドン―国際学術雑誌と近代科学の進歩』

(慶應義塾大学出版会)

1977年生まれ。
京都大学大学院人間・環境学研究科文化・地域環境学専攻博士後期課程単位取得退学。博士(人間・環境学)。
南方熊楠顕彰館にて外部協力研究者として、資料調査、展覧会、出張展、公開講座などを担当。現在、南方熊楠顕彰会理事。慶應義塾大学非常勤講師、京都外国語大学非常勤講師も務める。
著書 『南方熊楠英文論考[ノーツ アンド クエリーズ]誌篇』(共訳、集英社)、『日本犬の誕生』(勉誠出版)など。

『南方熊楠のロンドン―国際学術雑誌と近代科学の進歩』

 サントリー学芸賞は憧れの賞でした。受賞できたことを誇りに思います。
 私は2001年に、生物学者・民俗学者として知られる南方熊楠の旧邸(和歌山県田辺市)での資料調査にくわわりました。標本、書物、遺品が詰めこまれていた蔵の、むっとするような空気はいまでも忘れられません。それらの資料をすべてリスト化することから研究を始め、やがて南方熊楠顕彰館という博物館ができてからは、展示や講演といった企画にも携わってきました。
 『南方熊楠のロンドン』でとりあげたのは、熊楠の英文論文です。熊楠はロンドン遊学時代の1893年に英文論文の投稿を始め、科学誌として著名な『ネイチャー』への51篇など400篇近くを発表し、欧米の知的世界に確かな足跡を残しました。驚くべきは、帰国後の熊楠がほとんど地元・和歌山から出ずに発信をつづけた点です。欧米諸国の植民地拡大を背景に、国際郵便網が発達したことなどにより、地球のどこにいても「科学」に参加できるシステムが構築されつつあり、熊楠はその恩恵を利用していたのです。
 なおかつ、本書では熊楠のみならず、世界中に同様の活動をする知識人が無数にいたことを描きました。そうした厚い知識人層があったからこそ、科学は進歩したのでした。
 そのなかでも、熊楠は膨大な知識量で圧倒的な存在として知られました。どこにいようとも、自分の好きなことを突きつめることの大切さを教えられます。
 熊楠のこうした活動は、ときに現代のネットユーザーにたとえられることがあります。自宅を一歩も出ずに、ネット上での議論にふける姿は、たしかに熊楠と重なるようにも思えます。ただし、誤った情報や不完全な知識が混じりこむ危険性も当時と同様で、熊楠はそうしたものに厳しく対処していました。その姿は見習うべきでしょう。
 それから、このところ何かと100年前のスペイン風邪が話題になりますが、熊楠のところも妻や子どもたちをふくめた一家全員が罹患しました。ところが、そのさなかでも熊楠は英文論文を書き、シダ植物の研究を進めているのです。ひとはどんなときにでも、研究ができるものなのだなと、ちょっとあきれさせられます……。ただし、熊楠が家族の看病に勤しんだことは言い添えておきましょう。
 いろいろな側面で閉塞感の漂う現在の日本ですが、熊楠のように生きてみるのもいいのではないでしょうか。

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