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サントリー学芸賞

受賞のことば

社会・風俗2019年受賞

小泉 悠(こいずみ ゆう)

『「帝国」ロシアの地政学―「勢力圏」で読むユーラシア戦略』

(東京堂出版)

1982年生まれ。
早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。修士(政治学)。
外務省国際情報統括官組織(専門分析員)、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員、国立国会図書館立法及び考査局非常勤調査員などを経て、現在、東京大学先端科学技術研究センター特任助教。
著書 『プーチンの国家戦略』(東京堂出版)、『軍事大国ロシア』(作品社)など

『「帝国」ロシアの地政学―「勢力圏」で読むユーラシア戦略』

 のっけから個人的なことを申しますと、私は正統的な研究者というよりも職業的軍事オタクとでもいうべき人種です。特に私が関心を払ってきたのはロシアの軍事力配備や軍事ドクトリンの動向といった、すぐれて個別的な問題であり、言い換えると地味でマニアックなことをやってきたわけです。私は太陽の下を駆け回るよりは土蔵で書物を読んでいるほうが好きな人間ですから、これで全く満足だったのですが、2014年にロシアがウクライナ領クリミア半島への軍事介入を強行したことで仕事ぶりを変えねばならなくなりました。
 九州の7割ほどもある半島をロシアが軍事占領し、あまつさえ自国領として編入してしまうという出来事は、多くのロシア専門家にとっても予想外だったと思います。ロシアと西側の関係がこれほどまでに悪化し、その状況が固定化されたことも同様でしょう。その5年前に現在の状況を予言する人が居ても仮想戦記の読みすぎだと言われた筈ですが、そのような事態がまさに発生したのです。
 それにしても冷戦が終わってから四半世紀、21世紀に入ってから早14年という時世に、ロシアは一体どういう了見でこのような振る舞いに及んだのか。今ではれっきとした独立国であるウクライナの主権を、ロシアはどのように考えているのか。そもそもロシアは旧ソ連諸国への介入によって何がしたいのか……。軍隊が政治の道具である以上、職業的軍事オタクといえども「ロシア軍が奉仕すべき大目標とはそもそも何なのか」を考えざるを得ない状況に至ったのが2014年という年でした。
 それから5年ほどかけてロシアの持つ勢力圏思想や介入戦略についてあれこれと考察を行なってきました。本書『「帝国」ロシアの地政学』は、そのとりあえずの中間報告として上梓したものです。国家の主権がパワーに比例するという世界観、それに基づいて旧ソ連諸国を「半主権国家」と見做し、通常の国家間秩序が適用されない「勢力圏」なのだとする秩序観などを、近年のロシア研究における知見に基づいてなるべくわかりやすく解説してみたつもりです。北方領土やバルト諸国など、私自身がロシアの「勢力圏」を歩いて見聞きし、感じたことも盛り込みました。
 というわけで本書は最初から学術書としては書かれておらず、私自身はアカデミックな手法も用いた一般書というつもりで取り組みました。それだけにサントリー学芸賞という権威ある賞の候補になるとは思ってもおらず、驚きつつも大変ありがたく感じているというのが率直なところです。これを糧に次はどこへ向かうのか、すこし慄きつつも走り出す先を考えています。

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