選評
思想・歴史2025年受賞
『日々賭けをする人々 ─ フィリピン闘鶏と数字くじの意味世界』
(慶應義塾大学出版会)
1992年生まれ。
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科(5年一貫制)修了。現在、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科助教。
著書 『現代フィリピンの地殻変動』(共著、花伝社)
人生のある局面で得た経験や感覚が、やがて自分のなかで重要な位置を占めるようになると同時に、謎に満ちた問いとして立ち上がってくる。その問いをどこまでも手放さず、どれほど時間と労力を費やしてでも解こうと試みるとき、その途方もない努力の結晶は、おのずと一個の文体と思想とをかたちづくる。師田史子『日々賭けをする人々』は、まさにそういう書物である。
本書の探究は多面的だ。まず序盤では、賭博を軸に近現代フィリピン史を掘り下げた一書としての顔を見せる。16世紀、スペインの植民地となった当初から、国家は賭博を規制・管理する術をさまざまな仕方で模索してきた。賭博の経済がいかに大きく、また複雑であるか。賭博の営みを統治することが、いかに重要で、また困難であるか。著者の師田はこれらのマクロな分析に基づいて、今度はミクロな探究に分け入っていく。すなわち、日々賭けをする人々は実際のところ何をしているのか、なぜ人は賭けるのか、そこにはどんな意味があるのかという、本書の前景を成す問いである。
現実逃避、実社会の不確かな体験の予行演習、あるいは疎外的状況の昇華といった合理的な機能を見出すことで、賭博をすることの意味を説明する理論は数多い。しかし、師田はその種の理論に対して一定の距離を置いている。なぜなら、そうやって日常と賭博の間に明確な境界線を引き、日常に対する副次的な機能という観点からのみ眺めるならば、ほかならぬ日常の一部としての賭博の内実が捉えられなくなるからだ。
本書は、日常の生活のなかに息づく賭博のあり方に強く焦点を合わせている。それによって見えてくるのは、ひとつには、人々が勝負をし合い、賭けの予想や結果をめぐって語り合うことを通じて、社交やコミュニケーションの場が形成される次第、また、そのなかで、合法・違法という観点とは異なる独特の価値観や倫理観が醸成される次第である。
そしてもうひとつは、賭けることによって世界に働きかけ、世界と戯れようとする、人間の危うくも切実なありようだ。予想し、賭け、結果に直面して考察し、それを踏まえてまた予想する――このフィードバック・サイクルのなかで、人間は偶然を乗り越えようとしつつ、偶然によって驚かされることも望んでいる。すなわち、世界に意味を求めつつ、意味から逃れようともしている。人間のそうした不可解さないし面白さに接近するとき、師田の探究は具体的なフィールドワークの現場から、現実性と偶然性と運をめぐる普遍的な思考へと踏み込むことになる。これも本書の読みどころのひとつだ。
彼女は賭博を、人間の人間らしさを最も鮮明に映し出す営為として捉える。そして、賭博を通して世界と結び合う人間の諸相を、社会の構造にも個人の心理にも還元することなく、深く繊細に描き取ってみせる。我々はそこに、「人間とは何か」という根本的な問題に対して臆することなく、一冊の書物というかたちで答えようとする、ひとりの研究者の勇気と迫力を認めるだろう。本書の読後に残される、人間という存在に対する生々しい手触りは、その大きな挑戦に関して著者が重要な部分で成功を収めたことを証明している。
古田 徹也(東京大学准教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)




