サントリー文化財団

menu

サントリー文化財団トップ > サントリー学芸賞 > 受賞者一覧・選評 > 鶴岡 路人『模索するNATO─ 米欧同盟の実像』および『はじめての戦争と平和』

サントリー学芸賞

選評

政治・経済2025年受賞

鶴岡 路人(つるおか みちと)

『模索するNATO─ 米欧同盟の実像』

(千倉書房)

および

『はじめての戦争と平和』

(筑摩書房)

1975年生まれ。
慶應義塾大学法学部卒業。ロンドン大学キングス・カレッジより博士号取得(PhD in War Studies)。防衛省防衛研究所主任研究官などを経て、現在、慶應義塾大学総合政策学部教授。
著書 『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮社)など。

『模索するNATO─ 米欧同盟の実像』および『はじめての戦争と平和』

 鶴岡路人氏による『模索するNATO』は、第二次大戦後に形成され、冷戦期以降の米欧の安全保障関係を長きにわたって支えてきたNATOを分析したものである。NATOはすべての加盟国が有事には共同で身体を張ることが条約上の義務になっている、強力な集団安全保障機構である。アメリカとの二国間の同盟関係によって安全保障を追求してきた日本にとっては、多国間の安全保障機構であるNATOは、目指すべきモデルと考えられることもある。だがそのNATOの分析は、成立史や条約や関連の取り決めといった静的な公式法制度論になりがちだ。しかし80年近くも重要な役割をはたしてきたこの軍事機構は、様々な課題に動的に対応を続けることによって、その有効性を維持してきた。
 本書ではそのNATOが、比較的近年の冷戦後の時代に実際にどのように機能し、しかも国際情勢の変化に応じてどのように対応し変容を遂げたのかが、豊富な資料によって示されている。ブリュッセルに勤務して現実に動いているNATO本部を観察し、関係者とも頻繁に交流した経験のある著者だからこそ書けた、文字どおり動いているNATOの姿の活き活きとした描写は著者の真骨頂であり、欧米同盟の生々しい動態を示したものだ。
 もっとも本書では、全体を貫く分析枠組みははっきり示されず、NATOという分析対象だけではなく、分析視角も動き続ける。そのため一冊の本としての一貫性が見えにくいのが気になる。それぞれの時点で立ち現れるそれぞれの課題への諸国の対応過程の叙述は見事で、その道のプロには確かに有益だが、「各国の意思が問われている」といった時事的な記述も散見され、学術分析としては一層の体系的な分析が欲しいところだ。
 「NATO研究者」というより、「NATOウォッチャー」を自認する筆者には、これはないものねだりなのだろうか。もう一冊の受賞対象作である『はじめての戦争と平和』は、こういった読者の疑問に応える内容だ。議論の構成は整理が行き届き、安全保障政策の全体像が分かりやすく語られる。日本の大学では依然として等閑視されがちな安全保障論だけに、初学者にとってわかりやすく簡潔であっても体系的な入門書は、重要な知的貢献である。入門書としての本の性格からして、オーソドックスな安全保障論の枠組みを踏襲している内容になっているのは避けられないだろうが、若い世代にとっても理解しやすい最近の事例に触れながら、日本人に身近な話題に引きつけて論じた核兵器にかんする記述などでは、著者ならではの分析が簡潔に展開されている。
 著者は外交安全保障分野の政策コミュニティーの一員として、国際会議にも積極的に関与するとともに、時事的な政治評論の世界でも華々しい活動をしていることは周知の事実だ。国際政治とりわけ安全保障研究では、危機や戦争といった世間の耳目を集める現在進行中の出来事に、研究者は限られた情報と時間で専門家としての見解を述べることも期待される。こういった時事的な評論と学術研究の両立には難しい部分もあるが、もちろんそれは不可能という訳ではない。実際これまでも優れた時評は、時代を越えて長く読まれてきた。受賞対象となった二つの著作でその力量を示した著者をたたえるとともに、今後どのような方向を選ぶにせよ息の長い研究とその成果を期待したい。

田所 昌幸(国際大学特任教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

サントリー文化財団