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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学2023年受賞

鷲谷 花(わしたに はな)

『姫とホモソーシャル―半信半疑のフェミニズム映画批評』

(青土社)

1974年生まれ。
筑波大学大学院博士課程文芸・言語研究科修了。博士(文学)。
早稲田大学文学学術院非常勤講師などを経て、現在、大阪国際児童文学振興財団特別専門員。雑誌『ユリイカ』等に映画評論を多数寄稿。
著書 『淡島千景−女優というプリズム』 (共編著、青弓社)など。

『姫とホモソーシャル―半信半疑のフェミニズム映画批評』

 批評としての迫力みなぎる映画論が展開されている。全10章、古今のさまざまな作品が俎上に載せられていく。ひょっとして、冒頭の『マッドマックス』やインド映画の話に関心が薄い向きは、とにかく『羅生門』を論じた第3章「真砂サバイバル」をご一読あれ。いつかだれかが書かなければならなかった、そして今だからこそ書かれ得た論考がそこにある。
 フェミニズム的映画論の試み、と大まかには言える。だが副題にある「半信半疑」が効いている。一方には、フェミニズムがもたらした革新的な思考への信頼があり、男性中心主義的な発想が生むひずみを剔出することへの「謀叛気」みなぎるパッションがある。『羅生門』とはそもそも「強姦」被害の物語であるという点を、これまでほぼだれも論じてこなかった。それは男たちによる批評が生んだジェンダー的な「非対称性」の表れではないか。その理非を糾すためになすべき作業を、著者はきびきびと小気味よく進める。
 他方には、映画への、そして映画を作り上げた者たちへの深い愛着がある。批評の刃をふるうことで作品そのものをばっさりと切り捨てるとしたら、あまりにむなしく独善的な正義の行使になりはしないか。とはいえ心配はいらない。「女性嫌悪的な世界と人間たちを描く映画それ自体が、完全に女性嫌悪的であるとは限らない。」たとえ「ホモソーシャル」、つまり女を排除して男だけで権力を独占する秩序体系のもとで製作された過去の作品であろうとも、そんな体制のくびきを脱し、女と男のよりまっとうなあり方を示唆する要素をたっぷりと含んでいることがありうる。その点に向けて、著者の言葉は紡がれている。
 「既存の性の規範を揺るがし、女性観客を力づけるポジティヴな可能性」のありかは、ホラー映画や宮崎駿のアニメにも見出される。緻密な議論の運びと、クールな(だが燃え上がる想念を秘めた)筆致ゆえに、論述に勢いがあり、読んでいて爽快ですらある。何と言っても文章の力だ。例えば、内田吐夢監督が未だ時代劇の所作がおぼつかない高倉健を起用して撮った『宮本武蔵 巌流島の決斗』について。武蔵(中村錦之助)に一撃のもとに倒された小次郎(高倉)は「苦痛でも悔しさでもなく、いったい何が起きたのか理解できていないような、あどけないともいえる表情を浮かべ、目をあいたまま崩れ落ちる」。内田吐夢の戦後作には「下の世代の若者を犠牲にして生きのびた『戦中派』の悔恨」が込められているという読解は、具体的な場面の鮮烈な“引用”によって支えられているからこそ読む者の胸を打つ。
 第1章で『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に関し、「快楽と公正の感覚を両立させる」仕組みが凝らされた作品であると記されていた。一冊を読み終えて、それがまさに本書の魅力だと感じる。これから鷲谷氏がどのような地平を切り拓いていくのか、楽しみでならない。

野崎 歓(放送大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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