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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史2017年受賞

左地 亮子(さち りょうこ)

『現代フランスを生きるジプシー ―― 旅に住まうマヌーシュと共同性の人類学』

(世界思想社)

1980年生まれ。
筑波大学大学院人文社会科学研究科修了(現代文化・公共政策専攻)。博士(学術)。日本学術振興会特別研究員(PD)などを経て、現在、国立民族学博物館グローバル現象研究部機関研究員。
論文:「空間をつくりあげる身体 ― フランスに暮らす移動生活者マヌーシュのキャラヴァン居住と身構えに関する考察」(『文化人類学』第78巻第2号所収)など。

『現代フランスを生きるジプシー ―― 旅に住まうマヌーシュと共同性の人類学』

『現代フランスを生きるジプシー――旅に住まうマヌーシュと共同性の人類学』は女性人類学者である著者が南仏ポーで観察参加を試みたマヌーシュと呼ばれる共同体の研究です。タイトルに敢えて「ジプシー」と言う言葉が使われているのは、ロマ(88%)、ジタン/カーレ(10%)、マヌーシュ/シンティ(2~3%)などの下位集団からなる都市移動民に対する総称がこれ以外には存在しないからです。
 それはさておき、本書は著者が考えている以上に重要な発見を含んだ本であるような気がします。理由は、これまでの権力論において、家族が集まって共同体を成すとき、その共同体を統御すべき「権力」が必然的に生まれるとされてきたことに対するラディカルな問いかけが用意されているからです。
 問題として設定されているのは定住化の傾向を示しながらもキャラヴァン(キャンピング・トレーラー)住まいを止めないマヌーシュを観察し、「キャラヴァンに住まうこと」と「マヌーシュであること」の関係性を明らかにすることです。
 著者が強調しているのは、公営の集合宿営地などのマヌーシュの拡大家族集団には共同体を示す言葉がないこと、および、その共同体には権威者やリーダーがいないという事実です。
 「拡大家族や共同体のまとまりがみられても、その内部にはそれぞれに自律的な決定権をもった家長である、結婚し子をもつ成人男子が存在するのみで、個別家族の単位を超えて拡大家族や居住地住民の全成員を統率する特定の人物は不在なのである。またポーのマヌーシュ共同体では、政治的なリーダーの不在に加え、父親の権威も限定的である」
 これは、地球上に存在する多くの共同体とは決定的に異なっている重要な特徴です。著者は指摘していませんが、マヌーシュ共同体は、 父権が強化されて共同体の構造化が行われる以前の起源的核家族の特徴を有しているのではないでしょうか?
 では、リーダー不在のマヌーシュの拡大家族集団はどのようにして集団の規律を保ち、自治を行っているのでしょうか?それこそが「旅」であり、その「旅」を潜在的に可能にするキャラヴァンなのです。
 「共同体内部の争いを調停する政治的組織をもたないマヌーシュ社会において、移動は家族間対立の解消手段としてもっとも一般的な方法とされていた。(中略)ある二つの家族集団間に不和が生じると、どちらか一方の家族集団が移動を再開し、物理的な分離をはかる」
 しかも、私有地(家族用地)に固定家屋を建てた後もマヌーシュはそれをアメニティ空間として使用するだけで、キャラヴァンを放棄しません。なぜでしょうか?キャラヴァンがあり、それを駐車しておく家族用地の所有が、ノマディズムを保障する一種の「保険」となっているからなのです。
 マヌーシュ社会には定住民の「個」と「共同体」の抜き差しならぬ関係を止揚するための先祖の知恵が隠されているのかもしれないと感じさせる、人類学研究の大きな収穫の一つです。

鹿島 茂(明治大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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