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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗2016年受賞

木村 洋(きむら ひろし)

『文学熱の時代 ―― 慷慨から煩悶へ』

(名古屋大学出版会)

1981年生まれ。
神戸大学大学院人文学研究科博士課程後期課程修了(国文学専攻)。博士(文学)。
日本学術振興会特別研究員、熊本県立大学文学部講師などを経て、現在、熊本県立大学文学部准教授。
論文:「告白の奨励 ― 自然主義から婦人問題へ」(『文学』17巻3号所収)など。

『文学熱の時代 ―― 慷慨から煩悶へ』

 文学はいま世に当り前のものとしてある。しかし、明治の前半から半(なかば)にかけてはそうではなかった。西洋近代に追いつこうと富国強兵、殖産興業が謳われた時代には、文学など価値のないものと低く見られていた。青年たちの関心はあくまでも政治、社会改革にあった。その文学軽視が日露戦争前後から大きく変わり始める。青年や知識人の関心は天下国家を論ずることより、個の内面に向けられてゆく。そこで文学が大きく浮上してゆく。
 日露戦争後の明治39年(1906)に三宅雪嶺が言った「慷慨衰へて煩悶興る」は政治から文学への変化をよくあらわしている。
 雪嶺のこの言葉を副題に持った本書は、文学が近代日本の社会のなかで文学として価値を持つようになったのは、いつ、どうしてなのかを辿ったスケールの大きい論考である。文学はそこにあるものという現在の常識をいったん壊し、文学はいつ「発見」されたのか、もとを探っている。
 文学史ではあるが、そういってしまうと教科書のような本と思われてしまうが、そうではない。明治の文学者たちが、文学を発見し、既成の価値観に抗いながらいかに文学を豊かなものにしていったか。その悪戦苦闘を辿ってゆく。精神史といったほうがいいかもしれない。まだ三十代の研究者のまさに「文学熱」がこもっている。
 通常の文学史ではあまり重視されない非文学者に多くの頁が割かれているのがまず新鮮。
 徳富蘇峰、高山樗牛、宮崎湖処子(こしょし)、松原岩五郎、内村鑑三、さらに綱島梁川らが、文学の発見で果した役割を丁寧に論じてゆき、彼らと、国木田独歩や正宗白鳥が関連づけられる。
 松原岩五郎のルポルタージュ『最暗黒之東京』の都市貧民窟の細民への視線と、独歩の『武蔵野』における従来の名所旧蹟とは違う雑木林のような忘れられていた風景の発見、あるいは旅の途中で出会う最下層の生活者へのまなざしが共に同時代の新しい感性として浮かびあがってくるところなどみごとな論考。
 内村鑑三の文章には「涙」や「悲哀」が多いことから、鑑三は武張った富国強兵の主張とは別の場所に身を置こうとしたという指摘も、本書のなかできわめておさまりがいい。
 文学とは、挫折や失敗など負の側面からの人間の探究とすれば、本書に、日光の華厳の滝で投身自殺した藤村操が登場するのも自然で納得出来る。
 本書では通常の明治文学史に登場する森鷗外や島崎藤村、あるいは永井荷風はほとんど語られない。その意味では、偏っているが、これは著者が意図したものだろう。また、夏目漱石についてはもう少し読みたい気がするが、これもないものねだりかもしれない。
 この賞の選考にあたって、個人的にいつも基準として考えているのは、オリジナリティがあること、対象への愛情があること(熱)、そして文章が平易明晰であることの三つ。
 本書は、この三つが揃っている。さらに、三十代でこれだけ基礎、土台がしっかりしていれば、これからも期待出来る。

川本 三郎(評論家)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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