サントリー文化財団

menu

サントリー文化財団トップ > サントリー学芸賞 > 受賞者一覧・選評 > 将基面 貴巳『ヨーロッパ政治思想の誕生』

サントリー学芸賞

選評

思想・歴史 2013年受賞

将基面 貴巳(しょうぎめん たかし)

『ヨーロッパ政治思想の誕生』

(名古屋大学出版会)

1967年生まれ。
シェフィールド大学大学院歴史学博士課程修了。Ph.D.。
ケンブリッジ大学クレア・ホールのリサーチフェロー、オタゴ大学人文学部歴史学科専任講師などを経て、現在、オタゴ大学人文学部歴史学科准教授。同学部副学部長(研究担当)を兼任。
著書:『政治診断学への招待』(講談社)、『反「暴君」の思想史』(平凡社)など。

『ヨーロッパ政治思想の誕生』

 西欧中世の政治思想を論ずるこれまでの多くの著述では、13世紀における アリストテレス『政治学』の「再発見」を「革命」ととらえ、アリストテレス哲学とキリスト教神学との統合を試みたトマス・アクィナスによって時代の思想を代表させてきた。将基面貴巳氏の著書は、この「トマス中心史観」の大幅な書き直しを試みるものである。
 ただし、それはもう一つの史観を提示することではない。古代ギリシャ・ローマ思想とキリスト教という二つの伝統を前にして、様々な思想家がどのように思考したかを具体的に読み解くことによって、西欧中世が「政治」に関する「学」を生み出していく道筋を立体的に辿っていく作業である。
 その作業のため、将基面氏は三つの座標軸を据える。一つは、政治共同体論の系譜である。キリスト教神学にとっての政治共同体とは、原罪を負った人間が神の命令によって作った「必要悪」である。それに対し、人間は自然本性的に政治的動物であると宣言したアリストテレス思想は、「善き生」を求める人間の自律した活動領域として政治共同体を理解する。この二つの相矛盾する立場の相克こそが、中世において政治共同体に関する豊かな成果をもたらしたというのである。
 第二の軸は、ローマ法に触発された教会法学である。とくに重要なのは、その伝統の中で「権力」に関する言説が生み出されたことである。それは、世俗の共同体だけでなく教会をも射程に入れ、しかも清貧論争や聖俗両権対立などの現実の政治闘争に応答する中で展開されていったという。
 そして、第三の軸は、政治に関する学の形成にたずさわった思想家の学問的背景の多様さである。ダンテやマルシリウスのように法学者でも神学者でもない人物も参加する、開かれた「知識人」の世界が生み出されていたことが指摘される。
 将基面氏は、三つの座標軸を交差させながら、一元的な理論的枠組みに回収されず、多元的な観点が緊張関係を保ちつつ発展していくという点こそヨーロッパ的な政治思想の「原像」であることを、説得的に描いている。しかも、読者はその複線的な叙述を辿っていく中で、すべての基底に流れる大きな伝統の存在にも気づかされることになる。それは、古代ローマのキケロ以来の、言語コミュニケーションへの信頼である。人間は言語を通して真理を知り、言語を介して真理を他人と共有する。言語コミュニケーションの信頼は、人間による「同意」の役割を政治思想の中心に位置させる役割をはたすことになる。いうまでもなく、それは近代以降のヨーロッパ政治思想に連なっていくはずの伝統に他ならない。
 今ヨーロッパ連合(EU)は存亡の危機にある。その基本的政治理念は、まさに多元的な価値観や統治体制の間の緊張関係を通して一定の均衡を保つことである。その理念が、ユーロという単一通貨が解き放ったすべての違いを一元化する資本主義の力によって、大きく揺り動かされている。かつてケインズは「現在だけを知っているのと、過去だけ知っているのと、どちらが人間を保守的にするだろうか」と問いかけた。近い将来、この多元性の中に均衡を求めるという理念の原像を中世に見いだした将基面氏が、現代ヨーロッパの混迷、さらにはグローバル化された世界の混沌に対して、新たな視座を提供してくれることを切に望んでいる。

岩井 克人(国際基督教大学客員教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

サントリー文化財団