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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 2013年受賞

中西 竜也(なかにし たつや)

『中華と対話するイスラーム ―― 17-19世紀中国ムスリムの思想的営為』

(京都大学学術出版会)

1976年生まれ。
京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学。京都大学博士(文学)。日本学術振興会特別研究員などを経て、現在、京都大学白眉センター特定助教。
論文:「中国民間所蔵ペルシア語スーフィズム文献『霊智の要旨』」(『ユーラシアの東西を眺める』所収)など。

『中華と対話するイスラーム ―― 17-19世紀中国ムスリムの思想的営為』

 選者の一人が、本書は200年あるいはそれ以上確実に残る本だと評した。これ以上の評はないだろう。
 中国でのイスラム教のあり方を分析した文明論の秀逸な労作だ。一見、きわめて専門的かつ細密な事実分析をしながらも、常に大きな視野からの文明論的な問題意識を根底に据えているのが素晴らしい。
 著者の問題意識はいくつかある。ひとつは、アラビア語やペルシャ語のイスラム原典の漢語への翻訳により、その内容がいかに変容したか、翻訳を原典と中国伝統思想と比べながら分析すること。例えば、アラビア語のルーフ(霊)が、朱子学の「性」「理」に訳されることで、元の具体的観念が朱子学的な普遍的観念に改変されていると指摘する。
 次に、中国イスラム教は教理面で中国伝統思想との対立をいかに回避したか、という問題も重要だ。これは政権による弾圧を避ける死活問題でもある。関連して笑話的な夫婦喧嘩論も紹介されている。イスラム法では夫が妻に「出て行け」と離縁を口走るだけで離縁が成立し、その後結婚生活を続けると姦通罪になる。しかし中国では、明確な不貞のない妻は簡単には離縁できない。離縁は妻の一族の恥だからだ。この矛盾に対してムスリム学者の馬德新(1794-1874)は、夫婦喧嘩をしても夫は軽々に離縁を口走るな、黙って殴れ、と提案している。
 さらに、中国内地(江南、雲南)のムスリムが儒教との調和に腐心したのに対して、西北部では道教と結びついたという。この問題はほとんど未研究だが、著者は西北部ではスーフィズムが強かったことをその背景として挙げている。イスラムのスーフィズムが神秘的直観を重視することは知られている。この点は、理性的な儒教よりもまさに道教に近い。この立場で書かれた楊保元(1780-1873)の『綱常』は、道教的な色彩が濃厚だという。当時、西北部では、ムスリムと漢族の対立が激化した。したがって、西北部では、イスラムが道教を取り込むことで、イスラムと非イスラムの境を超えようとしたのではないかと分析する。
 中国のイスラム思想家にとって、伝統思想との調和だけでなく、儒教思想などに如何に埋没しないかも重要課題だ。したがって内地や沿岸部では、一方では儒教との同一性を唱えながら、他方では、埋没しないための差異化にも腐心したという。その点、北西部でイスラムが道教を大胆に取り込んだのは、辺境ゆえか、内地ほど中国文明に埋没する危険性がなかったからだろうと考察している。
 著者は、中国のムスリムは、現代中国にとっても貴重な財産だと高く評価する。それは、中国の国際的な経済、政治活動で、イスラム圏諸国との交流がますます重要となっているからだ。この面で、彼らが実際に活躍し、大きな役割をはたしている実例も紹介している。
 中国におけるイスラムの問題は、新疆ウイグル問題など、扱い方によっては尖鋭な政治問題となる。調和的な面を強調して、負の遺産の深刻な問題を避けている、との批判もあるかもしれない。しかし、このようなアカデミックな歴史研究に、現代の尖鋭な政治問題を必ずしも絡める必要はないだろう。この観点からすれば、現代中国にとっての財産云々といった問題も省略してもよかったのかもしれない。
 何れにせよ、久々に出たスケールの大きい労作であり、今後の研究の展開を注目したい。

袴田 茂樹(新潟県立大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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