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サントリー学芸賞

選評

政治・経済 2010年受賞

倉田 徹(くらた とおる)

『中国返還後の香港 ―― 「小さな冷戦」と一国二制度の展開』

(名古屋大学出版会)

1975年生まれ。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。
大学院在学中に在香港日本国総領事館専門調査員を務め、現在、金沢大学人間社会研究域法学系准教授。
論文:「民主化に対する中国中央の態度―香港の民主化運動を例に」(「外務省調査月報」2004年度第4号所収)など。

『中国返還後の香港 ―― 「小さな冷戦」と一国二制度の展開』

 筆者は今年(2010年)1月、97年の中国返還以来、初めて香港を訪れた。香港は変わりましたかと、何度も聞かれ、いや、相変わらず自由で繁栄しているようですねと、何度も答えた。大きな違いは、かつての観光客は日本発香港行きが主力だったのに、いまやその逆だということだ。先日ニセコに行きましたという人に大勢会った。それが香港の自由と繁栄の持続の証拠だろう。
 現在、香港の経済規模は、世界の国・地域の中で39位、アセアンの国々と比べると、インドネシア、タイよりは下だが、マレーシア、シンガポールよりは上である。人口は7百万近く、イスラエルとほぼ同じで、ラオスやシンガポールより多いのである。
 それにしても相手は13億の中国である。97年には、香港の繁栄は上海や広州の繁栄に吸収されてしまうだろうとか、香港の自由も長くは続かないだろうという悲観的な予測が一般的だった。返還の8年前、1989年には天安門事件があり、これに抗議する運動が香港では盛んだった。返還前の数年間には、パッテン総督が民主化政策を進め、中国はこれを強く批判していた。
 しかし香港は自由で繁栄しているように見える。本書は、その基礎にある一国二制度の実態に正面から取り組んだ労作である。
 第一章と第二章では、香港の政治に対する北京の統制力と、民主化問題が、それぞれ論じられている。他の地域とは異なり、中国は香港のトップを香港人に選ばせる(ただし拒否権は持つ)。そしてトップは有能な官僚に手腕を発揮させ、強力で効率的な行政を行い、繁栄を維持する。これに対し、民主化勢力も相当の力を持ち、選挙では勝利する。しかし議会は普通選挙と職能代表制とで構成されていて、職能代表部分では親政府の議員が当選する仕組みになっている。したがって、野党は政府に対して重大な障害になるほど強力ではない。しかし無視できる範囲ではない。しかも将来はすべて普通選挙にするという約束を政府はしている。それが具体化されるか、今後の注目点である。 また、香港のメディアの自由が、なぜ、どれほど存続しているか、またそれが大陸にどう影響しているかを論じた第三章、香港の安定と繁栄をめぐる北京と香港の関係を分析した第四章、香港人意識を取り上げた第五章も、それぞれ充実している。
 北京と香港は、香港の繁栄の継続をともに利益と考えて妥協し、協力する関係である。北京にとって香港の繁栄は重要な資産だし、今後台湾を取り込むについても重要だ。それゆえ一国二制度は今のところ成功している。しかしこれがずっと続くかどうかは分からない。中国政府が長期的視野にたって合理的に行動すれば、当分は続くだろう。しかし中国がそのように行動するかどうかは、分からない。分からないからこそ、この制度のダイナミクスに切り込んだ本書のような丁寧な研究が重要だと思う。
 本書は、博士論文をもとにしたものであるが、丁寧で分かりやすい。3年間、香港総領事館で専門調査員として勤務したことが、その内容を臨場感あるものとしている。

北岡 伸一(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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