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サントリー学芸賞

選評

政治・経済 2008年受賞

堂目 卓生(どうめ たくお)

『アダム・スミス ―― 「道徳感情論」と「国富論」の世界』

(中央公論新社)

1959年生まれ。
京都大学大学院経済学研究科博士課程単位取得(理論経済学・経済史学専攻)。博士(経済学)。
立命館大学経済学部助教授などを経て、現在、大阪大学大学院経済学研究科教授。
著書:『古典経済学の模型分析』(有斐閣)、『経済学 名著と現代』(共著、日本経済新聞出版社)など。

『アダム・スミス ―― 「道徳感情論」と「国富論」の世界』

 亜流が生まれてこそ、異端が出てこその元祖なのだろう。解釈が交錯し、流派が分岐してこその原典であるに違いない。
 アダム・スミスも『国富論』もそのような運命を糾ってきたように見える。
 市場礼賛論の元祖、ハイエクの源流としてのアダム・スミスと、市民社会論の元祖、マルクスの先駆としてのアダム・スミスと、大きく分けて二つのアダム・スミス像が、少なくとも20世紀を通して、混在した。
 著者は、アダム・スミスの知と情をより深く通わせることでアダム・スミスの世界を再現させようとする。『国富論』を読み込むに当たって、彼のもう一冊の古典である『道徳感情論』を読み解く。そして、その二冊を合わせ鏡のように用いて、アダム・スミスの思想の最深部の水脈を映し出し、砂漠化する21世紀資本主義世界の地表を潤すべく、思想的滋養を吸いあげようとするのである。
 『道徳感情論』で、スミスは人間存在をおおよそ次のように洞察する。
 人間を単に利己的な存在と見なすべきではない。人間は、直接自分の利益に関係がなくとも、他人の境遇に関心を持ち、それを観察することで、何らかの感情を引き起こす。他人の感情や行為が適切であるかどうかを判断する心の作用、つまり共感(sympathy)を持つ。同時に、人間は、自分の感情や行為が他人の目にさらされていることを意識し、他人から是認されたい、あるいは他人から否認されたくないと願うものである。
 人間とは経済的動物であるとともに社会的動物なのである。そして何よりも「弱い人」なのである。「弱い人」は、最低水準の富を持っていても、そして、さらなる富がさらなる幸福をもたらすとは限らないにもかかわらず、より多くの富を獲得して、より幸福な生活を送ろうと考える。そうした人間の「弱さ」が経済の原動力を生む。しかし、「弱さ」だけでは仁義なき競争をもたらし、経済社会を持続的に発展させることはできない。競争にはフェアプレイのルールが要る。「見えざる手」が十分機能するには「弱さ」は放任されるのではなく「賢さ」によって制御されなければならない。
 かくして、(1)市場社会における富の機能の中には「人と人をつなぐ」機能がある、(2)経済成長とは、富が増大することだけでなく、富んだ人と貧しい人との間に「つながり」ができることを意味する、(3)貿易は、言語や文化や慣習が異なるために共感(sympathy)を抱きにくい人々の間の交流を深め、相互依存関係を強める。それによって外国に対する国民的偏見を弱めることができる、という経済思想が導き出される。
 著者は、次のような心にしみこむ修辞を用いて、市場と道徳の創造的緊張関係を説明する。
 〈私たちは、市場の価格調整メカニズムと同様、成長の所得創出メカニズムをも「見えざる手」と呼んでよいであろう。そして、この場合の「見えざる手」とは、貧困と失意の中で苦しむ人びとに自然が差しのべる「救いの手」であるといえる。〉
 米国駆動のカジノ資本主義が行き詰まり、中国、インド、ロシアの「新興経済」はなお新秩序を作り出せない。そうした時、著者の挑戦は、世界経済の秩序理念を人間の社会的本性に裏打ちされたリアリズムを踏まえて再構築する営みへとつながるはずである。そして、その試みは、利と義、そろばんと論語・・・日本の経済思想と経済倫理の水脈を再びたぐり寄せ、日本経済再生の礎をつくりだす契機ともなるはずである。

船橋 洋一(朝日新聞社主筆)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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