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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 2008年受賞

奥中 康人(おくなか やすと)

『国家と音楽 ―― 伊澤修二がめざした日本近代』

(春秋社)

1968年生まれ。
大阪大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学(芸術学専攻)。博士(文学)。
京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター特別研究員などを経て、現在、大阪大学大学院文学研究科招聘研究員。
論文:「口伝の行進曲-維新期における山国隊の西洋ドラム奏法受容とその継承」(『東洋音楽研究』第70号所収)

『国家と音楽 ―― 伊澤修二がめざした日本近代』

 音楽には門外漢であるわたしなどでも、現在の東京藝術大学音楽学部の前身である東京音楽学校の創立に尽力した伊澤修二の名前とある程度の業績は、あらかじめ知っていた。わたしの専門とする演劇の分野に引き付けて言えば、劇作家の飯澤匡がその一族だから――飯澤の本名は伊澤紀と言う――、ほかの音楽関係の人よりも、ある種の親しみを感じていたと言ってもいい。が、ただそれだけのことだった。
 近年の一つの傾向として、言語や美術や建築などと、近代日本との関係を探る作業がつづいているということがあるが、本書もまたその一環を形成する。そして他の分野での類書が高い成果をあげているのと同じく、本書もそういう先行研究に引けを取らない。
 著者の指摘するところによれば、伊澤の西洋音楽の普及や音楽教育の活動を、文明開化と結びつけて肯定的に評価しようとする研究は「開明派」の側面を強調する傾向が強く、伊澤の国家主義的な活動についてはほとんど言及されない。逆に明治時代から敗戦時までの音楽教育のあり方、なかんずく天皇制に結びついた封建主義的な音楽教育を否定的に見ようとする時には、伊澤の国家主義的な側面を格好の攻撃材料として批判する傾向があって、従来の「伊澤修二研究」は二分されたごとく落ち着きが悪い。そこでそれを払拭すべく着手したのが、本書だということになる。
 だから『国家と音楽』はある意味の伊澤修二の評伝でもあり、伊澤は少年のころに故郷である信州高遠藩の鼓笛隊の鼓手として、ドラムを叩いていたというところから書き起こされる。明治維新期のドラムのリズムは、一体何を意味していたのか。
 この「西洋の音」と日本および日本人との出会いを求めて、岩倉具視を団長とする欧米への使節団と西洋音楽との接点と受け止め方を探り、次いで伊澤のアメリカ留学に言及するというのが本書の運びで、この場合の著者の視線は、現在進行中のその当時の時間の中に身を置いて、ニュートラルに資料に当たるという点で一貫している。その結果、これまでは見えてこなかったことの本質が視野に収まる。一つが使節団の報告書である『特命全権大使米欧回覧実記』におけるナショナリズムを誘発する合唱の実態であり、一つが伊澤が経験したアメリカにおけるフレーベル教育とその背景である。
 こういう解明を重ねてなぜ伊澤が唱歌にこだわり、いち早く学校教育にそれを取り入れることを提唱したかが追及される。文明国のスタンダードである七音音階に対して、五音音階しか持たないわが国の「音」をどう変えていくのか。そのためのメソッドをいかに導入するか。そして国民教育としての唱歌を定着させるにはどうすればいいのか。
 これらの問題を背負ってやがて伊澤は国家教育社を立ち上げ、雑誌『国家教育』を創刊する。本書の白眉はこのころの伊澤の国家と国民と音楽(唱歌)との関係を論じた最終章で、前記したような分裂した伊澤像は修正される。
 明晰な文章による説得力ある著作で、十分顕賞に値する。改めてお祝いを申し上げたい。

大笹 吉雄(演劇評論家)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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