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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 2007年受賞

ヨコタ村上 孝之(よこたむらかみ たかゆき)

『色男の研究』

(角川学芸出版)

1959年生まれ。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学(比較文学比較文化専攻)。プリンストン大学大学院修了。Ph.D.(比較文学)。
日本学術振興会海外特別研究員などを経て、現在、大阪大学大学院言語文化研究科准教授。
著書:『性のプロトコル』(新曜社)など。

『色男の研究』

 「色男」……現代の感覚では、“女性にもてる男性”、つまりは男性の羨望のまと? あるいは、“遊び人”として、女性にはあまりよいイメージはない? いや、「色男」には、そんな薄っぺらな印象とは異なる深遠な文化的背景がある。『源氏物語』『伊勢物語』等の古典文学から、歌舞伎、井原西鶴、為永春水等の江戸文芸、さらには、明治文学から現代のマンガ、雑誌記事にいたるまで、様々なメディアに現れた「色男」の表象を分析しながら、本書はその豊かな文化史をとき明かす。
 経済力や容貌よりも、小唄や三味線、踊りなどの芸に通じていることが「色男」の条件であったという指摘は、「色道」が江戸文化の真髄のひとつとなった理由を的確に言い当てている。江戸の遊女は単なる売春婦ではなく、芸によって評価されるのが本来であったが、同じことは男性にもあてはまったのだ。「色ごと」が単なる性の交わりではなく、芸道や詩作を通じた男女のコミュニケーションであったことが、「色」を「道」へと高め、江戸文化の洗練を生み出した。現代の花柳界の客に、自ら芸事をたしなむ男性が少なくなった事実(せいぜいカラオケ?)は、著者の語る「色男」の衰退を端的に物語っていよう。
 コミュニケーションは双方向であることが重要で、「色男」の衰退は、現代の「恋愛」の「ディスコミュニケーション」に結びついている、と著者は論じる。肉体を否定し、精神を偏重した近代の「恋愛」は、「肥大した自意識、孤立した内面、身体の拒絶」をもたらし、結果、『電車男』のヒットにみられるような、現代の「オタク」のコミュニケーション不全に結びついた。本書は、歴史書であると同時に現代の社会批評でもある。
 文明開化以降、近代日本に広まった「恋愛」は、「好色」や「色好み」よりも「進化」したものとして賛美され、実際、今でも、「色」をいかがわしいものと感じる価値観は存在しているが、愛は受動的な感情ではなく自覚的に《参加する》もの、というフロムの議論を援用しながら、日本と西洋に共通する近代恋愛の脆弱性を指摘する著者は、むしろ、「色男」の世界にこそ学ぶべきものがあると説く。
 これは決して、“伝統”の無条件な礼賛でも、過去へのノスタルジーでもない。「おちる」ことがよしとされる「恋愛」は、民主的であると同時に独善性を正当化するが、テクネに磨きをかける「色道」には、少なくとも、女性と対話しようとする意思がある。そこに「近代恋愛を超克する…ヒント」をみる著者の「色道」の再評価は、恋愛論という狭い枠組みをこえ、コミュニケーション論、近代化論としても興味深い。
 「色男」の美学である「すい」や「いき」は、装いに気を配りながらも、決して見せびらかすことなく、社会を無視せず、かつ超然と一線を画している点で、西洋の「ダンディー」に通じるという。相互に影響関係が認めにくい、この二つの文化現象の類似性から、著者は、貴族制から民主制への移行という、政治、経済の変容と、心性の変化の関係をも浮かび上がらせる。色男とドン・ファン、ヒモとジゴロとの異同など、洋の東西の男性像の比較から、それぞれの文化と歴史の比較に至る本書は、文明論としても特異な存在感を放っている。
 セクシュアリティ、ジェンダーについての新たな議論は、女性の側から提示されることが多いが、日本における「男性学」の発展にも、本書は寄与することであろう。

佐伯 順子(同志社大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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