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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 2006年受賞

マイク・モラスキー(Michael S. Molasky)

『戦後日本のジャズ文化』

(青土社)

1956年、米国ミズーリ州生まれ。
シカゴ大学大学院東アジア言語文明学科博士課程修了。日本文学で博士号。
コネチカット大学東アジア言語文化学科准教授などを経て、成蹊大学や立教大学の客員研究員に。ジャズ・ピアニストとしても活躍。
著書:『占領の記憶/記憶の占領 ―― 戦後沖縄・日本とアメリカ』(青土社)

『戦後日本のジャズ文化』

 「戦後日本文化」はもっと多方面から論じられるべきであるとかねて思ってきた。それも「ジャズ」をきちんと位置づける形のものが。本書は、それに応える最初の労作である。マイク・モラスキー氏は沖縄文学の研究家として高名であり、独自の業績を挙げてこられたが、氏にはジャズ音楽のパフォーマー(ピアニスト)というもうひとつの羨ましい顔があり、また戦後日本の文学や映画またアングラ演劇に関しても造詣が深い。「ジャズに触れずには戦後日本文化が十分に語れない」という指摘は正しいと思う。この本では、達意の日本文でジャズを取り上げた戦後の日本映画と文学を中心に、ジャズ評論や新聞の記事、欧米の研究者による最新のジャズ研究など広く「ジャズ言説」を含めて論じている。第一章「自由・平等・スウィング?」で戦前・戦間の日本のジャズについても目配りした後、戦後のアメリカ文化の流入はジャズの大衆文化としての大きな普及をもたらし、特に黒澤をはじめ敗戦の混乱の中で先鋭な映画を作り出した日本映画に影響があったと後に現れる裕次郎の「嵐を呼ぶ男」まで持ち出して説く。「僕がジャズ・ミュージシャンを志したのは、何といっても宇都宮の少年時代に受けたアメリカのポピュラーソングとアメリカ映画の影響がものすごく大きかったと思います」という渡辺貞夫の言葉が引かれているが、一世代後になる私も専らアメリカのポピュラーソングをFENで聴いて育った。
 占領文学としてのジャズ小説を五木寛之の初期作品に探る。五木のジャズ小説が出版された1960年代後半はジャズ喫茶全盛時代であり多くのファンにとってのジャズとは薄暗い喫茶店の片隅に蹲る様にして座って大音声で鳴るスピーカーからの洪水のように浴びせられるジャズ音に身を浸すように聴くのが普通であった。新聞紙上での大江健三郎と油井正一のマイルス・デイヴィスをめぐる論争なども思い出される。当時はジャズレコードの大半は輸入版であり、自宅でのオーディオ時代が来る以前のことだからそこにしかジャズの生(?)に接する機会はなかったのだ。五木の作品を分析して「音楽の社会性」と「参加者としての聴衆」という問題に音楽社会学者よりも早くから着目していたと指摘する点は流石である。ジャズは60年代後半から70年代にかけてその音楽性も変化させ、モダン・ジャズの中からいわばアバンギャルドとして展開するフリー・ジャズへと変貌するが、それは自由の讃歌であると同時に暴力や麻薬とも結びつくような面もさらけ出すようになった。ドラマー白木秀雄の悲劇なども起こるようになる。私は1978年に「祝祭からの転落」という文章を書いて、ジャズの変貌を自分のジャズ体験に即して論じたことがある。モラスキー氏は、「挑発するジャズ・観念としてのジャズ」でこの間の事情について考察し、さらに破壊からの創造を論じてゆく。そして最後は、近年のメディアとジャズといって「過去の音楽」としてのジャズに触れる。ジャズは分類するのが難しい音楽だ。その文化的価値が高まると大衆性を失い、ジャズらしい活力もなくなる。アメリカの新聞の分類にクラシック、ジャズ、ポピュラーとあるというが、その両極にゆれるのがジャズに違いなく、そこに魅力がある。本書の随所に展開指摘される音楽論も興味深い。秋吉敏子を論じてジャズとジェンダーに触れたところも重要である。いまや日本のジャズの有力なプレイヤーには女性が多い。
 しかし、何よりもジャズは「音」であることを忘れないところにこの本の価値がある。最近、注目すべきジャズ音楽の若い担い手がかなりの数で現れているが、さらにジャズを論じる若手作家なども出てくるようになり、新しい展開もあるのかなと期待している。2001年には皇族が関係するような大きな国際文化賞にオーネット・コールマンが選ばれた。現代日本の文化評価にもなかなかのものがあると感じたが、いまここにモラスキー氏の受賞が加わった。

青木 保(早稲田大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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