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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 2005年受賞

齋藤 希史(さいとう まれし)

『漢文脈の近代 ―― 清末=明治の文学圏』

(名古屋大学出版会)

1963年、千葉県生まれ。
京都大学大学院文学研究科博士課程中退。
奈良女子大学文学部助教授、国文学研究資料館文献資料部助教授などを経て、現在、東京大学大学院総合文化研究科助教授。
著書:『日本を意識する』(編著、講談社)、『注釈漂荒紀事』(共編著、京都大学人文科学研究所)

『漢文脈の近代 ―― 清末=明治の文学圏』

 近年、人文学の分野でも、論述に平易明晰をとうとぶ傾向があらわれてきているようだ。人文研究のすべての領域についてそうであるのか否かは、さだかでない。旧来の国文学や国史学には、まだ得々として特殊学界用語をふりかざしたり、論者の思い入ればかりを見せるような研究書も少なくはないようだ。だが少なくとも、このサントリー学芸賞の「芸術・文学部門」に候補作としてあがってくるほどの、五十歳未満の人たちの著書は、その古臭い重たいマントを脱ぎすてている。みな切れ味がよく、颯爽として涼風の中に立っている。
 齋藤希史氏の『漢文脈の近代 ―― 清末=明治の文学圏』は、まさにそのような新型秀才の一書である。十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて、清末中国と明治日本の間には、言語表現においても出版や読書においても、意外なほどに密接な関連があり、共通の文学空間、「文学圏」がそこにつくりあげられていた。その絆となっていたのが漢語による文語文=漢文脈であり、著者はこれが両国の近代化過程の中で相互に作用しあいながら変容し、変容しながらそれぞれに国民国家意識の形成をうながしてゆくさまを追跡する。
 「日本文学史」と「支那文学史」の成立の論から始まって、清末維新派の梁啓超による明治政治小説の翻訳、矢野龍渓の『経国美談』や『浮城物語』の文体、森田思軒の翻訳における口語体漢文脈の工夫、そして明治期の作文指南書や少年たちの投書作文の問題にまで深入りしてゆくのだから、一筋縄の著述ではない。だが、著者の文章それ自体が漢文脈の残光をおびて歯切れよく、緻密でありながら明快であり、問題設定のするどさに合わせて論証の手なみのあざやかさは、一種快感をおぼえさせさえする。
 序に著者みずから述べるように、「あたうかぎりテクストに即し、結論を閉じないこと。・・・テクストを単一において理解するのでなく、複数のテクストの間において理解すること」という研究法を一貫して守ろうとしたからであろう。一例のみをあげれば、梁啓超が日清戦争後「戊辰変法」(清朝変革、1898)の試みに失敗して日本に亡命すると、すぐに翻訳した東海散士の『佳人之奇遇』の冒頭の一節 ―― 東海散士がフィラデルフィアの「独立閣」に登り、自由の鐘を見て感慨に耽るところだ。「(米人の)能ク独立自主ノ民タルノ高風ヲ追懐シ俯仰感慨ニ堪エス愾然トシテ窓ニ倚リテ眺臨ス」との漢文訓読体は、梁啓超によって「倚窓臨眺。追懐高風。俯仰感慨」とみごとな四字のリズムをつらねて華訳された。原文にまさる修辞上の洗練、とさえ著者は評する。柴四朗の原文自体が四六駢儷(べんれい)調の漢文体であり、用いられる語彙も多くは漢籍に典故をもつものだったのだから、まだ日本語のできない訳者でも容易にこれを駢儷文に移し、さらに原文にない古典語彙を補って流浪悲憤の情を強調することもできたのである。
 国運再興の志を語るこの政治小説を訳した梁啓超は、ヨーロッパの近代以来「小説は国民の魂を為す」ことを知り、やがて「一国の民を新たにせんと欲せば、先ず一国の小説を新たにせざるべからず」と言い、「中国文学」の歴史への新たな発見の道をも打ち開いてゆく。まさに「漢文脈」による「清末=明治の文学圏」の展開である。
 著者齋藤氏はその文学圏を颯爽と闊歩する秀才である。それならば「明治の游記 ―― 漢文脈のありか」の章でも、漱石の「木屑録」などを分析するばかりでなく、岩倉使節団の『米欧回覧実記』のような巨篇を真向から論じるべきであったろう。それに、選考委員会でも議論になったが、本書がキーワードとするécriture(エクリチュール)を、ただの一回「書かれたことば」と称しただけで、あとはフランス語のままで押し通している。齋藤氏のごときもこのような若者の悪癖にひっかかるのか。再版にはこれをきちんと「漢文脈」に直すことを私たちは期待している。

芳賀 徹(京都造形芸術大学学長)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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