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サントリー学芸賞

選評

政治・経済 2004年受賞

川島 真(かわしま しん)

『中国近代外交の形成』

(名古屋大学出版会)

1968年、東京都文京区生まれ。
1997年、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学(東洋史学専攻)。
日本学術振興会特別研究員を経て、1998年より北海道大学法学部助教授。
2002年より国際日本文化研究センター客員助教授を兼任。この間、台湾の中央研究院、北京日本学研究センターなどで在外研究。2000年、博士(文学)(東京大学)。
専門はアジア政治外交史。
著書:『周辺から見た20世紀中国』(共編著、中国書店)、『共同研究・中国戦後補償』(共著、明石書店)

『中国近代外交の形成』

 北朝鮮問題に関する6者協議を主催する中国外交の華々しいデビューは、経済にとどまらず外交でも中国が台頭してきた姿を世界に印象づけた。それは、王毅中国政府代表(現中国日本大使)の颯爽としたスタイルとパフォーマンスに象徴されている。
 しかし、中国の北朝鮮に対する外交の利害計算、外交原理、関係論、姿勢は依然、わかりにくい。そこには中国の「伝統的」な「東アジア秩序観」、さらには「中華思想」が影を落としているのかどうか、との疑問が提起される所以である。
 川島真氏のこの大著は、そうした疑問に直接答えてはくれない。そもそも取り上げる対象が清末と民国初期の近代である。それでも、1世紀後のいまの中国外交のクセや匂いのようなものを感じ取る上での考える糧をふんだんに与えてもらった。心地よい満腹感に私は浸った。
 川島氏は、20世紀初頭の中国の档案(とうあん)(公文書)を北京、台北で探しだし、それを丹念に読み、各種解釈を用心深く比較考量し、結論を慎重に導き出していく。門外漢の私には、この本がどれほどアカデミックな専門領域を裨益(ひえき)するものかは分からないが、恐らくそれは質量ともに分厚いものであるに違いない。確実に言えることは、中国の「近代」の息吹と「富強」への思いがひしひしと伝わってくることである。この本を読みながら、公文書とは歴史というドラマの脚本そのものなのだと知った。
 その時代、中国は分裂、いや「分節」していた。外交の足場は弱かった。例えば、南シナ海は、実質的に各国の植民地と広東政府という地方政権に囲まれていた。国際連盟でアジア代表枠を得た中国(民国)は、アジアの「盟国」であるシャムとの条約締結を急いだが、頓挫した。「南シナ海の世界を中央政府である北京政府が広東(政府)を飛び越えて把握しようとするところに限界があり、また一つには皇帝呼称問題があった」ためである。シャム「君主」を「皇帝」とすることへの躊躇が中国側にはあった。
 中国は、「中華思想」から自由になったのだろうか。
 川島氏は、中国外交に対する安易な「中華思想」的解釈は、「オリエンタリズムの流れの一つ」として退け、中国外交のリアリズムに注目するべきであると説く。
 その中で中国の日本観はどうなのだろう。
 中国は20世紀初頭、自らを「世界の中心」ではなく「万国の一つ」とする認識転換を行った。しかし、それはかえって自らをアジアの、とくに東アジアの中心とみなす自己認識を尖らせたのではなかったか。その過程で、川島氏も指摘するように「反日外交などの戦略」も生まれた。中国外交のリアリズムは、日本をどのように見据えるのであろうか。
 中国における民族主義の情念と内政、少数民族との共生、アジア秩序観、東アジア地域主義の思想、海洋観と海防観、外交(外政)の権力・指導理念・組織文化などこれからさらに研究を深めなければならないテーマは多い。川島氏の労作が、こうした研究を促し、深める契機になることを私は確信している。
 学者としての「禁欲」によってであろう、この本では近代外交論から現代外交論への分析投影は極力抑えられている。ただ、川島氏がかいまみせる鋭い問題意識を見るにつけ、いつの日か、それらに正面から切り込む蛮勇も期待したい。

船橋 洋一(朝日新聞社コラムニスト)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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