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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 2003年受賞

佐藤 卓己(さとう たくみ)

『「キング」の時代 ―― 国民大衆雑誌の公共性』

(岩波書店)

1960年、広島県広島市生まれ。
1989年、京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学(西洋史学専攻)。
1995年、文学博士号取得(京都大学)。
日本学術振興会特別奨励研究員、東京大学新聞研究所・社会情報研究所助手、同志社大学文学部助教授などを経て、2001年より国際日本文化研究センター助教授。
専門はメディア史、広報学。
著書:『大衆宣伝の神話』(弘文堂)、『現代メディア史』(岩波書店)など。

『「キング」の時代 ―― 国民大衆雑誌の公共性』

 関東大震災の翌年、大正13年(1924)12月に大日本雄弁会講談社(現・講談社)によって創刊され(大正14年新年号)、百万部の部数を誇った伝説的な国民大衆雑誌「キング」についての精細緻密な包括的研究書。読みごたえがある。
 出版史上、有名な「キング」だが実はこれまで、発行者である野間清治の伝記的研究や読者層研究はあっても、「キング」そのものの内容に深く立ち入った研究は、ほとんどなかったという。同時代の総合雑誌「中央公論」や「改造」に比べ、「キング」は知識人から低く見られていたためだろう。
 著者は1960年生まれ。大衆の時代、マスメディアの時代、あるいはサブカルチャアの時代に育ってきた世代であるだけに、「中央公論」や「改造」が偉くて「キング」は低俗といった、かつての二元論にはもうとらわれていない。「キング」の低俗さのなかにこそ自由に入ってゆく。
 「キング」が創刊される時代背景、とりわけ、第一次世界大戦後の日本社会で、「大衆」が発見されてゆく時代の空気に「キング」がうまく合ったという指摘は納得出来る。なるほど「キング」創刊号の大正14年は、普通選挙法が公布された年でもあった。
 大正末から昭和はじめにかけて「大衆」の存在が大きくクローズアップされ、永井荷風も『断腸亭日乗』昭和4年3月2日に、「この両三年この語(注・大衆)大に流行す」と記すことになる。
 「キング」が、同時代に登場し、またたくまに広範囲に受容されていった「ラジオ」(「キング」創刊の大正14年に初放送)と「トーキー」(昭和6年初のトーキー「マダムと女房」)のふたつのマスメディアと似ていた、つまり「キング」の「ラジオ的雑誌」「トーキー的雑誌」という側面は、これまであまり語られていなかっただけにとくに面白く読んだ。
 「キング」はラジオと同じように娯楽記事に力を入れる。ラジオの聴取者が好んで聴きたがる浪曲を、雑誌にも取り入れる。そうやって誌面をラジオ化してゆく。興味深いことに「キング」が百万部雑誌を誇る「天下の公器」であることを社告で宣言した昭和7年(1932)は、ラジオ受信契約数が百万世帯を突破した年でもあった。
 次にトーキーが登場すると「キング」はすぐにそれも誌面に取り入れる。映画の話題が多くなる。新作映画の紹介、批評、スターのブロマイド、さらには、映画を写真と文字で紹介する「映画物語」まで登場する。
 誌面が映画化する一方、「キング」連載の小説が次々に映画化される。雑誌と映画の相互乗り入れ、いまふうにいえばメディアミックスである。そういえば、昭和の大ヒット曲「東京行進曲」は、実は「キング」に連載された菊池寛の同名小説の映画化作品の主題歌だった。
 「ラジオ的雑誌」「トーキー的雑誌」だったがゆえに、次の新しいメディア、テレビが普及してゆく昭和32年(1957)に「キング」が廃刊に追いこまれてゆくのも納得できる。
 「キング」という雑誌を通して、「大衆」の時代の文化状況を幅広くとらえたスケールの大きい研究書である。

川本 三郎(評論家)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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