サントリー文化財団

menu

サントリー文化財団トップ > サントリー学芸賞 > 受賞者一覧・選評 > 河合 祥一郎『ハムレットは太っていた!』

サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 2001年受賞

河合 祥一郎(かわい しょういちろう)

『ハムレットは太っていた!』

(白水社)

1960年、福井県敦賀市生まれ。
東京大学大学院人文科学研究科修了。
東京大学教養学部専任講師を経て、現在、東京大学大学院総合文化研究科助教授。放送大学客員助教授を兼任。
著書:『謎解き「ハムレット」』(三陸書房)

『ハムレットは太っていた!』

 河合祥一郎氏の『ハムレットは太っていた!』は画期的なハムレットの研究書というにとどまらず、イギリス・ルネサンス期の演劇を含む文化論としても興味深い好書で、強く推した。他の委員からの異論もない受賞である。
 『ハムレット』についての論稿は、ほとんど無数にあるといっていいだろう。それだけにハムレットを論じて新しい鍬を入れることは、至難のことだと言って過言ではないと思われる。その困難な研究に挑戦し、見事な成果をもたらしているのが本書であって、いかにも少壮気鋭の学者にふさわしい。
 本書のそもそもの発想は、シェイクスピアの戯曲は上演のために書かれたのだから、初演時の俳優のタイプ、その体格を探ることで、新たな作品解釈が可能になりはしないかということにある。
 わが国の伝統演劇の研究では常識的な方法だから、シェイクスピア作品の上演史でも、当然なされているとわたしなどは思っていた。事実、1920年代に一度試みられたことがあったらしい。が、これがあまりに杜撰なために、初演のキャスティングは所詮わからないという逆説を生み、以来、手付かずの状態で現在にいたっているのだという。だから河合氏の研究は再度の挑戦ということになるが、だからこそまた、世界中のシェイクスピア研究の先達たちの仕事を吟味し、検討を加え、過誤があれば訂正し、さらには自説を展開する大仕事になる。そういう過程を経た上での氏による最大の「発見」の一つが、タイトルにもなっているハムレットの体格に関する新事実である。
 ハムレットは思索する青年で、痩せているというのがわれわれの「常識」である。が、ハムレットを初演したバーベッジはたくましい体格の持ち主で、痩せたハムレットというイメージとは遠い。のみならず、母親のガートルードはハムレットのことをfat、太っていると口にする。が、ロマン主義批評によって「痩せたハムレット」という像が定着してからはこの言葉の解釈がゆがみ、本来の意味が消されていった。しかし、fatは「太っている」ことを指す以外の何ものでもなく、強いて異なる解釈をするのは、イギリス・ルネサンス期の文化と言葉に対する理解が足りないためだ。その基盤を知れば、太ったハムレットが当時の人々の理想だったことが分かると同時に、たくましいハムレットがなぜ長く復讐をためらうのか、その底流も見えてくる……というのが氏の説の概略である。
 これに類する「発見」はイヤーゴのオセロへの「動機なき悪意」の新解釈をはじめ多々あって、本書を読み進むにしたがって、次々と新しい地平が見えてくる。著者の方法がまさに的を射たのであり、十分な知的刺激を味わえる。受賞を心からお祝い申し上げるとともに、将来を大いに期待したい。

大笹 吉雄(大阪芸術大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

サントリー文化財団