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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 1997年受賞

港 千尋(みなと ちひろ)

『記憶 ―― 「創造」と「想起」の力』

(講談社)

1960年、神奈川県藤沢市生まれ。
早稲田大学政治経済学部卒業。
ガセイ南米基金を受け、南米各地に滞在の後、パリを拠点に写真家・評論家として活動。現在、多摩美術大学助教授。
著作:『群集論』(リブロポート)、『考える皮膚』(青土社)、『注視者の日記』(みずず書房)など。

『記憶 ―― 「創造」と「想起」の力』

 港氏は、世界を旅してきた写真家である。旅といっても、観光ではない。地上のさまざまな場所、そこに澱のように淀む時間のなかに身を浸して、消えゆく歴史、というより消されゆく歴史のなかで終の疼きのようなものとしていま起こっていること、あるいは時間の傷や葛藤を内に呑み込んだ都市の顔、ひとの顔、そこをふとよぎるもの、それらを印画紙に焼き付けてきた映像の作家だ。
 この作家には、もう一つ、文字による大きな仕事がある。『群衆論』から『考える皮膚』をへて『記憶』にいたる評論の仕事だ。『群衆論』では、群衆の世紀としての20世紀がさまざまの映像表現を参照しながら論じられるが、全体を通奏低音のように響いているのは、接触・皮膚というテーマだ。「触覚文化論」という副題をもつ『考える皮膚』の各頁から聞こえてくるのは、痛みを核とする感覚の政治学ともいえる問題だ。そして『記憶』、ここでは壊されつつあるもの、失われゆくもののただなかで、想起し構築する力としての記憶が浮き彫りにされる。群衆、触覚、そして記憶というテーマの連鎖のなかで「現在」を語りだすという、その思考の道筋はとても確かで、とてもオリジナルだ。
 かつての二冊でもそうだったが、この『記憶』においても、港氏の視線は、その問題にありきたりのイメージしかもっていないひとにはアクロバティックに映りかねない。が、この視線は考え抜かれた軌道を描く。それも他のだれも思いつかないような仕方で。港氏は横断の思想家なのである。
 記憶は、保存され貯蔵されるものでなく、動的に構築されるものだという視点を、まず神経生理学の研究や記憶術の伝統から引きだしてくる。その上で、ジャコメッティの彫刻、シャルル・マットンの絵画、ビル・ヴィオラのヴィデオ・アートを引き合いに出しながら、芸術制作における記憶のはたらきを分析する。ついで記憶の像としての写真における感覚・感情と記憶の関係を考える。最後に集団的記憶をめぐって記憶の政治学が論じられる。
 これらをつうじてつねに議論の出撃点となっているのは、触覚を核とした<身体の記憶>だ。あるいは、現在のなかに不在を見る<哀悼>の視線だ。記念日というかたちでの国家による記憶の管理、記憶を抹消する集団的行為、変更される地名、消えゆく言語、二重言語化する現代都市、アルツハイマーと疑われながら描き続けた晩年のデ・クーニング、遺失物保管所に入り浸る男の話など、読み物としてもスリリングである。
 横断と触覚と想起、それらが交差する場所から、この記憶論は紡ぎだされている。触覚の根源性を、映像作家である港氏が論証するところが味噌である。

鷲田 清一(大阪大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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