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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史 1993年受賞

佐々木 力(ささき ちから)

『近代学問理念の誕生』

(岩波書店)

1947年、宮城県加美郡小野田町生まれ。
プリンストン大学Ph.D.取得。
東京大学教養学部講師、助教授などを経て、現在、東京大学教養学部教授。
著書:『科学革命の歴史構造』(岩波書店)、『科学史的思考』(御茶の水書房)など。

『近代学問理念の誕生』

 しばらく前から「ポスト・モダニズム」という言葉がもてはやされている。たしかに私たちの現代は、それに先立つ近代が産出した文明財を継承して、その巨大な恩恵を蒙りながらも、他方ではその負の遺産の重みに苦しみ、今にして近代性というものをあらためて検討し、それと対決し、場合によってはこれを超克しなければならない運命を深く自覚している。したがって「脱近代」はいわば歴史的必然であるとも言えよう。
 しかし世に行われている「ポスト・モダニズム」は必ずしもすべてが入念な思想的彫琢を経たものとは言い難い。もちろんそれに関する文明論的発言の中には、鋭い知的緊張に耐えて主張された、英知と洞察に富むものもあるが、時にはみずからの先見性を誇大に主張しながらも、実は一種のオブスキュランティズムへの逆行と、徒らに俗耳に入りやすい空しいスローガンに過ぎないものも多い。私たちにとって大切なのは、高度技術社会の呈示するかずかずの深刻な問題に直面して、今こそその基礎にある近代性の本質を、大衆文化に阿諛しない知的良心をもって、冷徹に認識することであろう。
 佐々木力氏の『近代学問理念の誕生』という労作は、まさにこの課題を主として科学(とくに数学および力学)史および学問論の領域において究明し、きわめて究めて高い水準において成果を挙げた力作である。同氏はこの書物のなかで、豊富な文献的資料を駆使して博雅な論議を展開しながら、単なる歴史的叙述に終始するのではなく、同時にすぐれて現代的で文明論的な問題意識に導かれて、近代科学の根本にある志向性を批判的に検討し、それを通して近代性そのものについて理性的な再評価(肯定的にも否定的にも)を試みるのである。しかもこの作業において注目すべきは、同氏が科学史家にありがちな一面性を蝉脱して、複眼的思考によってその所論を展開していることである。例えば本書11ページに重要な提言として述べられているように、近代的な科学理論は単に「経験的成分」から成り立っている(というのが常識的な主張である)のではなくて、同時に「超越論的な戒律」によって支えられ、これを不可欠な要件として含んでおり、しかも後者は歴史の中で形成され、その妥当性を確認されるのだという洞察がある。こうして佐々木氏の複眼的視座において、科学と歴史という一見対立したものが統合されつつ、近代性へのアプローチが為される。これは「自然科学理論の妥当性は常に地平的である」(388)というテーゼの意味するところでもあり、こういう考え方はT・クーンなどの所論とも重なるが、佐々木氏はこれを文献資料により、精緻かつ説得的に論証する。そしてこの営みはC・P・スノウがかつて絶望的に分断した自然科学と人文科学とを再統合する道でもあるが、ここにおいて同氏の真の意味でのポスト・モダン的意識が活動していると言うことができるであろう。

中埜 肇(岡崎学園国際短期大学学長)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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