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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 1992年受賞

川本 皓嗣(かわもと こうじ)

『日本詩歌の伝統 ―― 七と五の詩学』

(岩波書店)

1939年、大阪市生まれ。
東京大学大学院人文科学研究科博士課程程中退。
東京大学教養学部講師、助教授などを経て、現在、東京大学教養学部教授。この間、カナダ・トロント大学東アジア学部客員教授。

『日本詩歌の伝統 ―― 七と五の詩学』

 俳句に関して、とりわけ蕉風俳諧をめぐっておこなわれてきた論議は古来数知れず、あらたに論を立てる余地など、もはや何一つ残されていないように思える。それが思いがけないことに、俳句研究の大鉱脈が眼と鼻の先に手つかずで残されていたらしい。それを見つけだしたのが川本皓嗣。彼はさっそく掘りだしにかかり、日ならずしてその成果をわれわれに披露した。『日本詩歌の伝統』がそれである。
 この本は、王朝和歌以来の詩語「秋の夕暮」を材料に、「歌ことばの本意・本情というわが国特有の約束」が形づくられてきた経緯をさぐった「秋の夕暮」論、芭蕉の発句を例にとって、「たった十七字という極端に切りつめた枠組みのなかで、俳句はいかにして詩でありうるか」という課題を解いた「俳句の詩学」、それに、日本の詩の骨格をなす七五調と五七調について、「範型としての韻律法」を見いだそうともくろんだ「七と五の韻律論」との3章から成り、いずれも着眼は清新、考察は周到、読む人の眼をみはらせずにおかないが、なかでも秀逸は主論文「俳句の詩学」。
 この論考を眼にするまで不覚にも気づかずにいたのだが、従来の俳句論議は俳句がどんな感銘をもたらすのかということの詮議に多く傾き、その感銘(川本皓嗣の用語法でいえば「詩的意義」)がどういう手続きを経てもたらされるのかという詩法上の問題にまで立ち入って論じられることはほとんどなかった。「俳句の詩学」の第一の手柄はそうした空白の部分をほぼ完全に埋め、俳句研究の質を格段に高めたことである。
 著者はまず、俳句一般に共通する構造を分析して、それが「ことば続きの意外さ、面白さ」で読み手の興味をよびさます「基底部」と、一句全体の意義を方向づける「干渉部」とで成り立っていることを示す。たとえば、「閑(しづ)かさや岩にしみ入る蝉の声」の場合だと、「岩にしみ入る蝉の声」が「基底部」、「閑かさや」が「干渉部」といったふうに。
 さらに著者は、読み手をひきつける必要上、「基底部」の表現が、おおむね、誇張法と矛盾法(もしくは対立法)とに拠っていることに注目をうながす。たとえば、「草の戸も住み替る代ぞ雛の家」における「も」や、「明けぼのや白魚しろきこと一寸」における同一音の
反復などが誇張法の、「面白うてやがて悲しき鵜船(うぶね)かな」「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」などの表現が矛盾法(対立法)の例に当るといったふうに。
 誇張と対立はいうまでもなく作劇法(ドラマトゥルギー)の基本をなす概念である。こうした普遍的、原理的な概念を導入することで、俳句の構造が一目瞭然となっただけでなく、とかく特殊視されがちだった俳句を他の詩表現と同じ土俵で論じる可能性がひらけたといわなくてはならない。その意味でも、この「俳句の詩学」は今後の俳句論議にとって必読の論考となるにちがいない。

向井 敏(評論家)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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