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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 1991年受賞

川本 三郎(かわもと さぶろう)

『大正幻影』

(新潮社)

1944年、東京都生まれ。
東京大学法学部卒業。
朝日新聞社に入社、「週刊朝日」、「朝日ジャーナル」編集部を経て、1972年に退職。以後、評論活動に専念し、現在に至る。
著書:『都市の感受性』(筑摩書房)、『感覚の変容』(文藝春秋)、『マイ・バック・ページ』(河出書房新社)など。

『大正幻影』

 読んでゆくうちにオヤオヤと思い、ハラハラし、もちろん大いに気に入って、例えばこのサントリー学芸賞にぜひとも推してみたくなるような書物――少なくともその一種類は、自分でもぜひ書いてみたかったと思うような書物である。
 しまった、やられた、先を越された、と思うような本である。オヤオヤと思うのは、自分がかねて抱懐していた主題に、その本の著者がスタスタと近づいてくるからであり、ハラハラするのは、まさかあのことにまでは触れてこないだろうと心配するうちに、著者が急にニア・ミスの気配を見せたりするからである。自分にほんとうにこれだけのものが書けたかどうかは棚に上げて、ヒヤヒヤしながら読む本ほど面白く、身につくものはない。
 川本三郎氏のこんどの本は私にとってまさにそのような好著快作であった。佐藤春夫、永井荷風、谷崎潤一郎、芥川龍之介という、大正の東京の隅田川およびその両岸の一帯に格別の愛着を寄せ、その水の辺空間の現実の向う側、ではなくその近代化する現実のうちにこそ、「儚ない」詩的幻影の世界をホロスコープのように作りあげようとした作家たち、が本書の主要題材である。なかでも、中洲を舞台にユートピア的小共同体を造成しようと夢見て、その精巧な模型を完成したところで無一文の現実にもどる三人の「世外人」の物語、佐藤春夫の「美しい町」(大正8年)が、本書の出発点となり中心となっている。
 いまから三十数年前、留学からまた比較文学の大学院に戻った私が、島田謹二教授の佐藤春夫研究のゼミで、しきりに得意になって論じていたのも、まさにこの傑作短篇「美しい町」だった。バシュラールの『空間の詩学』まで使って、数十枚の大レポートを書いたが完成せず、単位さえ取りそこなったのが、その演習であった。当時、佐藤春夫は文壇で評判が悪く、中村眞一郎が珍しく佐藤春夫再評価を始めたと思うと立ち消えになり、中村光夫は居丈高になってこの老作家に喰ってかかるというような一時期でもあった。
 川本氏はそのような中村光夫式の元気一杯の近代的向上主義とはもはや無縁で、大正文人のビーダーマイヤー風の玩物喪志をさえ、明治日本の国家的功利主義への反措定として認め、歴史的に位置づける。「美しい町」とポーの夢想郷小説や、ウィリアム・モリスの『無可有郷通信』(ユートピア便り)とのかかわり、また中洲発見の端緒となったという司馬江漢の銅版画の意味など、私が書くつもりだったこともみな「鳶に油揚」である。
 私の手もとに残るのは、この短篇の主人公のテオドル・ブレンタノという異国風の名前は、おそらくG・ブランデス(吹田順助訳)『十九世紀欧州文学主潮』のドイツ浪漫派の章から、クレメンス・ブレンタノやE.T(テオドル).A.ホフマンの名を借りて合成したのにちがいない、という推量ぐらいなものだ。同主題をめぐって春夫、荷風、谷崎、芥川それぞれの「幻影」を交錯させてみせるというのも、川本氏のあざやかな手なみであった。
 本書は他でも賞の有力候補となったらしいが、これをうまくサントリー学芸賞が射止めたのは、この賞のためにもめでたい。

芳賀 徹(国際日本文化研究センター・東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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