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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 1986年受賞

堀内 勝(ほりうち まさる)

『ラクダの文化誌 ―― アラブ家畜文化考』

(リブロート)

1942年、甲府市生まれ。
カイロ・アメリカ大学アラビック・スタディーズ卒業。
カイロ・アメリカ大学研究員、東海大学講師、東京外国語大学講師などを経て、現在、中部大学国際関係学部教授。
著書:『砂漠の文化』(教育社)など。

『ラクダの文化誌 ―― アラブ家畜文化考』

 今回の社会・風俗部門の3点の受賞作のうち、この『ラクダの文化誌』は、これまであつかったものの中でも、かなりユニークな性格を持つ作品だった。「アラブ家畜文化考」という副題からわかるように、これは伝統的なアラブ遊牧社会におけるもっとも特徴的な家畜であるひとこぶラクダが、その社会にどう位置づけられ、歴史的にどうとりあつかわれてきたかを、彼らの生活の内側からとらえることによって、この特異な「砂漠の家畜」と、それと深いかかわりを持ってきたアラブ遊牧文化の双方の姿を浮び上らせようとする試みである。家畜文化がきわめて貧弱で、しかも、「遊牧民」との直接接触が歴史的になかった日本、ましてラクダとなると、長い歴史のなかで稀な献物か見世物以外見た事がなく、現在でも動物園でしか見られない日本にとっては、「ラクダの文化」となると心情的にも経済的にももっとも疎遠なものであろう。それだけに、日本の学徒として、あえてこの題材に挑んだ堀内勝氏の意欲に敬意を表したい。日本人には理解しにくい所があるが、牧畜社会における家畜と人間の深いかかわりを、その経済面だけでなく、「社会観・生命観」や「象徴性」にまで掘りさげて描出した研究例は、アフリカ牛遊牧民についてのE・プリチャードの研究や、最近では、地中海羊遊牧民についての谷泰氏のものがあるが、何しろアラブ地域は、ここ十数年来、世界で最もフィールドワークのやりにくい、危険な紛争地域であり、その困難な制約下に、何度も現地調査をおこなった苦労は、案ずるに余りある。著者の専攻はアラビア語であり、カイロのアメリカ大学に留学の経験もあり、既にこれまで『砂漠の文化』をはじめとして、この世界の研究についての実績もある。このバックグラウンドを存分に生かして、第1章の「アラブのラクダ観」から、アラブの歴史文献、伝承にあらわれたラクダ像、さらにラクダのこぶ、蹄、成長、年令階梯、群れ、鳴き声、運搬、牽引、騎乗、鞍や荷具、価格、ラクダについての信仰まで、ほとんど「アラブ、ひとこぶラクダ文化百科事典」と言っていいほど広範な項目をカバーしつつ、アラブ文化の「内面」にはまりこんでいるこの家畜の姿を描出し、同時にその「内面」についての理解の手がかりを示唆する。「遊牧文化」にほとんど縁の無い現代日本の私たちにとっては、実に珍しく興味深い事柄が数多く語られていて飽かせない。ただ、私のようなアマチュアにとっては、読み終わってから、どうしても、アジア系の「ふたこぶラクダ文化」とのつながりや比較が知りたくなるのは、現段階では望外の贅沢というべきか。ユーラシアの大「キャメル・ロード」の中で、どこらへんでひとこぶとふたこぶがわかれるのか、私自身、以前トルコ東部で現物を見てびっくりした、ふたこぶひとこぶの一代雑種という「ひとこぶ半ラクダ」などの位置づけはどうなるのか、又著者自身が、「おわりに」の中で書いているように、運搬・交通用としては自動車・トラックにとってかわられ、「食用」としての意味が大きくなりつつある現代のラクダの姿など、将来「続・ラクダの文化誌」の中で、さらに雄大なスケールでとりあつかわれるであろう事を期待してやまない。

小松 左京(作家)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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