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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 1984年受賞

西部 邁(にしべ すすむ)

『生まじめな戯れ』を中心として

(筑摩書房)

1939年、北海道生まれ。
東京大学大学院修士課程修了(経済学専攻)。
横浜国立大学経済学部助教授を経て、現在、東京大学教養学部教授。
著書:『経済倫理学序説』(中央公論社、吉野作造賞)、『大衆への反逆』(文藝春秋)など。

『生まじめな戯れ』を中心として

 近頃、“西部”中毒という症状を示す読書人がじわじわと増殖しつつあり、告白すると私もその一人なのである。しかし、西部氏の文体を識らない人に、その中毒の因ってくる所以を説明するのはかなり難しい。
 60年安保の突撃隊長から経済学者になったと思ったら、今では渋面の哲人として、大衆文化やデモクラティズムや技術文明の批判を展開してジャーナリズムの注目を浴びている東大の先生……などと紹介したのでは、いかにも時代の波乗りにたけたカメレオン風で、「ああ、よくある左翼崩れの右翼タカか」と興醒めな顔をされるのがオチだろうが、その類のお調子者とおよそ異質なホンモノであることは、一読者の私でも保証できる。
 「今どき珍しくロダンの“考える人”を彷彿とさせる深刻な知識人ですなあ」と感に堪えていた愛読者もいるが、私に於ける西部氏のイメージはあのように端正な西洋彫刻よりも、無骨な手造りの達磨像に近い。それは内なる重心を信じようとする起きあがりこぼしである。
 絶対的な価値などは迷妄であり、価値はすべて自分の好みや立場にもとづいてとりあえず仮設したものにすぎないという価値相対主義の大進撃によって、信仰、信念あるいは確信といった類の感情が根こそぎにされた荒野に在って、この起き上りこぼしは敢えて“正義”のありかを探ろうとする。といって今更絶対的な価値への回帰を唱えるほど楽天的な人では勿論ない。「人間のヤヌスめいた両面性」を認めた上で、その両面のバランスを保つ「衡平の精神が、公正もしくは正義の心をつくる」というのだ。
 しかし、こう要約してしまっては味も素気もなくなるのであり、秩序と混沌の境界を渡り歩く彼の「吃りの文体」によってこそ、その絶妙なバランスを感知できるのである。正義といい倫理といい、綱渡りの曲芸師が頼りにする一本の棒のようなものだ。危険な綱を渡るもののみがその絶大な効用を知りうるような、しかし実体としてはいささかの変哲もない、あの長い横棒こそ正義のエクスカリブ、つまりアーサー王の聖剣ではないかと、彼は言う。
 「相対主義の底無し沼にとことん深入りして伝統を破壊しづつけるとともに、ついでに自分をも破壊してしまう一種絶対主義的なニーチェの流儀」か「絶対的価値の薄明かりをおぼろに思いうかべながら、伝統の破片を一種相対主義的なやり方で丹念に拾い集める」かの二つの方途しか残されていないいま、「どちらかを選べといわれたら私は後者をとる。しかしいずれにせよ、たじろぐほかないパラドックスではある。ひかえめにいって、これらの逆説の性格をつうじて自分がおおいに問題をはらんだ状況にあることを包み隠さずに述べるのが現代知識人の重要な仕事のひとつだと思われる」と結ばれた本書は、まさにその難儀な仕事に「生まじめ」に取組んだ痛快な本である。

桐島 洋子(評論家)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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