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サントリー学芸賞

選評

政治・経済 1981年受賞

安場 保吉(やすば やすきち)

『経済成長論』

(筑摩書房)

1930年生まれ。
東京大学教養学部卒業。
大阪大学経済学部助教授、京都大学東アジア研究センター教授を経て、現在、大阪大学経済学部教授。この間、プリンストン大学客員講師、タマサート大学客員教授などを歴任。
著書:"Birth Rates of the White Population in the United States, 1860 : An Economic Study"(Johns Hopkins Press)、『日米関係の研究』(東京大学出版会)など。

『経済成長論』

 現代の先進工業国、とりわけ戦後の日本経済においては、経済成長はいわば当然自明の事実である。しかし人類の長い歴史から見れば、人々の平均的な生活基準が最低線から脱し、世界の一部の国々において工業化が進み、生産と所得の向上が持続的に実現されるようになってきたのは僅々二百年ないし百年来のことにすぎない。
 近代経済成長についての数量的資料を整理・分析した業績としては、たとえばサイモン・クズネッツに代表されるものがある。また経済成長論の精緻な展開は、最近一時期の理論経済学の花形分野であった。さらに、後進経済を対象とする経済発展、開発論も、経済学のひとつの専門領域とされている。これらの中に位置づけるとき、安場氏の書物のユニークな特徴は、著者自身の言葉でいえば「理論を明示的に提示して、その実現妥協性を問うとともに、近代経済成長を歴史の流れの中で捉えるために、比較経済史の手法を用いていること」にある。これは歴史と理論と実証分析の方法に精通する著者にしてはじめてくわだてうることであり、経済学諸分野の最近までの研究成果が総合されたほとんど類例のない著作となっている。
 本書の考え方の骨格をなしているのは、生産関数を機軸とする新古典派の経済理論であるといえよう。本書が非凡であるのは、多くの地域の歴史的事実についての驚嘆すべき博識と、統計資料の巧妙な解析による豊かな肉付けである。たとえば一見平凡なテーマの「天然資源と人口」の第2章をみても、農工間の交易条件や鉱物資源の供給を論じて海上輸送における技術革新の重要性を指摘し、あるいは人口転換を論じてこの分野の専門家も顔負けするほどの周到な分析をあたえている。さらにまた成長モデルをとりあげる第4章においても、おなじみのハロッド=ドーマーやソロー=スワンが登場するのみでなく、「大躍進」、労働の無限供給モデル、あるいは二重構造のモデルに多くのスペースが割かれている。それとの関連で日本経済の「転換点」論争に新しい寄与を加え、あるいは日本資本主義論争における講座派理論に独特な解釈をあたえていることなども、本書の内容の豊かさの例証になろう。「成長の成果とひずみ」および「成長の将来」についての著者の所見も本書の場合には、超長期の歴史的視野の中に位置づけられた省察として格別の興味をひくものである。
 評者の個人的な不満を述べるとすれば、マルクスの「ブルジョアジー」やシュムペーターの「企業家」に対応するような、近代経済成長の主体的な担い手についての論及が見られないことでもある。学術書に「壮大なダイナミックス」を求めるのは無いものねだりかもしれないが、しかし、なぜ世界の一部である時期に持続的経済成長という特異なエピソードが生ずるにいたったのかを本当に理解させるためには、人間やエートスについての関心がもうすこし払われてもよかったのではあるまいか。

熊谷 尚夫(大阪大学名誉教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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