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サントリー地域文化賞

活動詳細

東北

宮城県 気仙沼市 2011年受賞

森は海の恋人運動
海・山の住民をつなぐ環境保全活動

代表:畠山 重篤 氏

2011年10月更新

活動紹介動画(1分31秒)
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写真
東日本大震災後初の植樹祭
(2011年6月5日)

 気仙沼湾は、三陸リアス式海岸の中央に位置し、古くから近海、遠洋漁業の基地として知られる。波静かな入り江は養殖漁場としても優れていて、江戸時代からノリ、大正時代からはカキ、近年はワカメやホタテなどの養殖も盛んに行われている。

 ここで両親の代から牡蠣養殖業を営んでいた畠山重篤氏は、1960年代の終わり頃、赤潮の発生など、海の異変に気付いた。ちょうど同時期、フランス・ブルターニュ地方を水産業の視察で訪れ、ロワール川上流にうっそうと広がる広葉樹林と、その水が注ぐ海辺の生物の多様性に眼を奪われた。生産力豊かな海の環境は、海に流れ込む川の上流に豊かな森があってはじめて保たれる。次の世代に良い漁場を残すには、上流の森の存在が重要だとわかったのである。

 このことを漁師たちに伝え、気仙沼湾に注ぐ大川上流の室根山に木を植えようと呼びかけたところ、70名の賛同を得た。室根地区の人々も理解を示し、気仙沼湾をのぞむ広場を植林地として快く提供してくれた。当初は、室根山のある岩手県と、行政区の異なる宮城県の気仙沼との共同作業には、困難も予想された。しかし、気仙沼の人々は4年に一度の室根神社の大祭で、山に清めの海水を運ぶ役割を担っており、山と海の交流には歴史があった。

 1989年、漁師たちは大漁旗を翻して山に登り、山の民の助けをかりながら、木を植えた。以後、毎年6月に大川流域の森で海と山の住民共同で「植樹祭」を行い、これまでに3万本の木を植えてきた。

 植樹だけでなく、森を維持するためには人々の意識を育てることが大切だと考えた畠山氏は、1990年から子どもたちを対象に、森・川・海のつながりを説く教育活動を開始した。2009年には「NPO法人 森は海の恋人」を設立。ホタテの水揚げや農家での収穫体験など、生産者の実感を伝える体験学習中心の環境教育に力を注ぎ、全国から年間400〜500人の子どもたちを受け入れている。長年の運動によって、大川流域の人々の意識は確実に変化し、気仙沼湾はかつての姿を取り戻していった。

 一方、漁師による森づくりへの共感は全国に広がり、同じ趣旨の運動は177箇所にのぼる。漁業関係者だけでなく、一般の親子連れや森林業関係者、NPO団体など、幅広く参加し、地域と世代を超えて共感を集めている。

 2011年3月の東日本大震災によって、事務所や養殖筏がすべて流され、養殖業やNPO活動の継続も諦めかけた。しかし、室根地区の人々から、今年も開催しようと声があがって、全国から1000人以上が集まり、6月に植樹祭を実施した。さらに岩手や宮城の中学からの依頼を受け、教育活動も再開した。

 海と山の住民が力を合わせた環境保全活動は、漁村と山村が森を介して連携する新しいコミュニティを創出した。地元の田園歌人熊谷龍子さんの「森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく」という歌から誕生した「森は海の恋人」のフレーズは、今や全国に響くメッセージとなり、交流の輪が広がっている。

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