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サントリー地域文化賞

活動詳細

近畿

京都府 京都市 2004年受賞

丸田 明彦氏(個人)
京料理の伝統を踏まえつつ新たな味覚を創出し、味と技と心を多くの人に伝える

2005年2月更新

写真
弟子を指導する丸田氏

 丸田氏が九州から京都に移り住み、京料理に出会ったのは、16歳の時である。調理師会に入り、様々な料理屋、旅館などに派遣されて修業を重ねる。瀬戸内、北陸、飛騨などでも料理人として働き、その土地の食材や味付けを生かした料理の研究にも励んだ。

 1971年、洋子夫人と結婚し、京都に居を定める。73年から8年間にわたり、新聞の関西版に季節の京料理を紹介する記事を連載した。この経験は、京料理の真髄を理解するための貴重な勉強になったという。

 1980年、丸田氏は独立し、京料理「まる多」を開業する。自分の料理の世界を自由に表現し、当時は男性の世界だった料理屋で、女性のお客さんにも料理を楽しんでもらいたいと意欲を燃やした。常に新しい献立、料理法を考え、ハーブ(香草)や洋酒を使ったり、デザートを添えるなど、これまでの京料理の世界では考えられなかった革新的な試みを行った。また、自ら土をひねって焼きあげた器に料理を盛り付けるというこだわりも見せた。

 その背景には、「料理は五感のすべてに働きかける芸術」という信念がある。さらに、長い歴史を持つ京料理は、貴族の料理や精進料理、南蛮料理、茶懐石料理など、その時代ごとに、多様な料理を取り入れて進化発展してきた。京料理の基本をしっかりと身につけ、常に新しいものを取り入れ、智恵と工夫で古いものと調和させながら、今の時代、次の時代にあう美味を追求しなければ、京料理は廃れてしまうと丸田氏は考えているのである。

 こうした考え方のもと、「京料理の革命児」とも称される一方で、氏は100人以上にのぼる住み込みの内弟子を鍛え上げ、その中からは優秀な料理人も育っている。また、写真と文章で独自の料理の世界と研究の成果を紹介する出版にも数多く取り組み、丸田氏を師と仰ぎ、各地から教えを請いに訪れる外弟子も数多い。

 2001年、丸田氏は進行性の難病、筋萎縮性側策硬化症(ALS)を発症した。包丁を握れなくなり、店を閉じた丸田氏は、今やほとんどの時間を病床で過ごす毎日である。しかし、常に新しい献立、料理法を考え続け、不自由な口で氏が語り聞かせる新しい料理を、夫人や弟子が書き写す。そして、今も足しげく訪れる弟子たちがその料理を作り、味付けから盛り付けまで、丸田氏の厳しい指導を受ける。「教えることが、俺の仕事」と語る丸田氏は、現在、自らの料理人としての哲学を伝える次の出版物の準備も進めている。

 サントリー地域文化賞が創設されたとき、選考委員に就任した故・開高 健氏は、「地域の味覚は、その土地の風土や歴史、生活習慣に根ざした文化である」と、味覚部門の顕彰を主張した。長年にわたり、京料理の研究と工夫に心血を注ぎ、弟子たちへの指導に情熱を傾けてきた丸田氏の活動は、まさしく、京都の味覚文化のさらなる発展に貢献する、すぐれた地域文化活動であるといえるだろう。

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