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サントリー地域文化賞

活動詳細

関東

神奈川県 横浜市 2000年受賞

ヨコハマ映画祭
横浜から日本映画を応援する、ファン手づくりの映画祭

代表:鈴村 たけし 氏

2000年5月更新

写真
映画ファンが選んだ
ベストテン表彰式

 港町ヨコハマは映画にゆかりの深いまちである。かつて外国映画は全国に先駆けて真っ先に横浜の映画館で封切られた。また、大正時代には撮影所もおかれ、日本映画を支える多くの映画人を輩出してきた。

 しかし近年、世間の例にもれず横浜の映画人口は年々減少し、身近な街の映画館は次第に閉館を余儀なくされていった。加えて、東京に近すぎるために横浜では公開されない日本映画が増えるという現象もおきてきた。こうした状況に危機感を覚えた横浜在住の若い日本映画ファンが、地元で自分達の見たい映画を上映し、日本映画を元気づけ往年の勢いを取り戻したいという思いを込めて、1980年2月、「第1回ヨコハマ映画祭」を開催した。

 年に200本以上映画を見る会社員や、若手映画評論家などがこの映画祭の選考委員となり、前年に公開された日本映画からベストテン作品と、監督賞、男優賞、女優賞、新人賞、脚本賞などを選出する。映画祭当日は、ベストテンのなかから数作品を上映し、表彰式が行われるが、毎回受賞者がほぼ全員出席するのもこの映画祭の呼び物だ。映画好きの学生、会社員など約30名が実行委員として企画・運営に携わっている。

 「第1回ヨコハマ映画祭」は、当時鶴見区にあった[名画座]京浜映画劇場で開催された。横浜では未公開の作品の上映などが話題を呼び、定員280名をはるかに超える観客で大盛況となった。翌年の第2回も好評で、映画祭は順風満帆の滑り出しを見せた。

 ところが、第2回の直後に[名画座]閉館という事態に直面する。運よく第3回会場として市民ホールを確保したものの、映画館以外の場に作品を借り出すことの苦労に加えて、定員1500名の会場は大きすぎ、前年を大きく上回る観客を集めたものの大赤字となった。以後数年間は毎年会場を変え、“流浪の映画祭”とも揶揄された。しかし、観客の視点に徹し、若い才能をいち早く認め励ます、先見性に富んだ映画祭という評価は年々高まっていった。そのことは1981年度の新人監督賞に選ばれた森田芳光氏が、つねづね「ヨコハマが僕を生み育ててくれた」と称賛していることや、多くの映画関係者のヨコハマ映画祭への賛辞が物語っている。第21回を迎えた今年、会場の関内ホールには1000名を超える映画ファンがつめかけ、終日熱気に包まれていた。

 昨年6月、横浜で開かれた国際映画祭に特別参加したヨコハマ映画祭実行委員会は、来日するフランス映画人のために、同年ベストテン第1位作品「CUREキュア」に仏語字幕をつけて上映。これが好評を博して、横浜の姉妹都市リヨンはじめ、パリなどフランス国内数都市でも上映され、日仏映画交流の一翼を担った。

 ヨコハマ映画祭は、スポンサーに一切頼らず、あくまで映画ファンによる手作りの映画祭にこだわり続けている。財政的には常に厳しい状況にあり、様々な事情から開催が危ぶまれたことも度々あったが、日本映画を愛する人々の情熱と努力に支えられてきた。21年の歴史を通じ、実行委員会メンバーの中から映画監督や評論家も生まれている。“横浜からの日本映画の応援団”を自負する「ヨコハマ映画祭」は、世界を視野に日本映画への熱い声援を送り続けている。

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