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サントリー地域文化賞

活動詳細

近畿

滋賀県 東近江市 1992年受賞

東近江大凧保存会(受賞時は「八日市大凧保存会」)
大凧の技術保存と地域住民への普及を通じた伝統継承活動

代表:大西 清 氏

1992年11月更新

写真
100畳敷の大凧揚げを準備する
保存会メンバー

 爽やかな風が吹き渡る5月、愛知川河川敷で開催される八日市大凧まつりには、多くの市民や全国の凧好きが集まり、大小様々な自慢の凧を揚げて楽しんでいる。クライマックスは、「判じもん」と呼ばれる独特の意匠をもつ80畳から100畳(縦横13メートル、重さ約700キロ)の大凧の飛揚である。合図とともに、風待ちをしていた100人余りの引き手が一斉に走り出し、引き綱を力いっぱい引く。折からの風に乗りとてつもない大凧が舞い上がると、会場から拍手と歓声が沸き起こる。人々の心には、より大きな凧をより高く揚げたいという凧好きの伝統が脈うっているのである。

 八日市の大凧は、江戸時代中期頃、5月の節句の鯉のぼりがわりに、男子出生を祝って凧揚げをしたのが始まりと伝えられている。その後、近江人特有の創意工夫の才と負けん気から、改良に改良を重ね、長巻き法や切り抜き工法を発案し、天保年間にはすでに日本一の大きさを誇っていた。大型化に伴い、凧揚げは家々や親戚単位の祝い事から、村を挙げての慶祝行事となり、村同士の競争意識も手伝ってますます盛んになった。1896年には日清戦争の終結を祝い、200畳の大凧を揚げたという記録も残っている。しかし残念なことに、こうした伝統も時局の大きな流れには逆らえず、戦争をはさんだ20年近い間、大凧の作成と飛揚は途絶えていた。

 1953年、郷土の伝統文化を保存・継承するために「八日市大凧保存会」が結成され、八日市の大凧は再び大空に甦った。保存会の会員たちは、これまでは村同士の対抗意識から秘密にされてきた互いの技術を交流・結集させ、国や県、市の行事を祝して凧を揚げるほか、万国博覧会や花と緑の博覧会、日本各地の凧揚げ大会にも参加。84年の市制30周年には、日本最大の220畳の大凧を揚げ、遠くアメリカやイギリス、フランス、オーストラリア、中国などにも遠征し、巨大な凧で観衆を驚かせた。

 この凧は、毎回すべて手作りで製作され、製作から飛揚まで多くの市民の協力を必要とする。そのため保存会では、市内の幼稚園、小・中学校、高校、公民館で指導を行い、市民に手作りの凧を揚げる喜びを伝え、普及への努力を惜しまない。八日市市では、多くの学校行事に凧揚げが取り入れられ、新成人は20畳の凧を揚げて成人の日を祝う。また、91年には市のふるさと創生事業の一環として「世界凧博物館 八日市大凧会館」が設立された。ここには国内1752点、世界44ヵ国393点の凧が集められ、八日市の大凧とともに展示されているが、講習会や市民参加による大凧の作成などにも利用され、地域のコミュニティ活動の拠点ともなっている。

 保存会には多くの若者が参加して、古老たちとともに、人々の心をつなぐ郷土の文化遺産を守り続けている。自然と交わり、大凧への深い愛着を抱く人々の心を、八日市の古い凧揚げ歌はこう歌っている。

 風の神さん 風おくれ
     揚がったらかやすで 皆おくれ
 うららの凧はよいけんど
     風が吹かんと揚がらんで
 風の神さん 風おくれ

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