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サントリー地域文化賞

活動詳細

北海道

北海道 東川町 1989年受賞

東川氷土会
野外氷彫刻の普及と技術向上に努め、寒さを逆手にとった氷の芸術を創造

代表:加賀城 章 氏

1999年11月更新

写真
第3回全国氷彫刻展出品作品
「戦車」

 冬の北海道。雲の隙間から薄日が射すと、氷でできた彫刻がキラキラと輝きだす。削られた氷に光は細かく屈折し、飛び散った光線が七色を発する。北海道の大自然をバックにした氷の彫刻は見る人に新鮮な感動を与えずにはおかない。

 氷を素材にした彫刻は、一説によると、明治の終りにロシア大使館付きの日本の料理人が、帰国して披露したのが始まりといわれている。日本でも、1958年頃から徐々に料理界を中心に盛んになった。しかし、それはあくまでも料理を彩るものに過ぎなかった。

 ところが、1965年、旭川の冬まつりに、高さ6メートルにも及ぶ五重の塔の大きな氷の彫刻が出現した。160本もの氷を使って作った大氷像は、正に氷の野外オブジェと呼ぶにふさわしいものであった。その彫刻は真冬の極寒の中、連日夜半までかかって作られたものである。一本135キログラムの氷を同じ大きさの氷のうえに載せ、屋根の軒を60センチメートルもせり出すように作るのは至難の業であった。氷と氷の接着には「水」が使われた。寒さの中、寒さを嘆くのではなく、寒さを逆手に利用した新しい手法であった。この大氷像を制作したのは加賀城章、松田与一の両氏を中心にしたグループである。その年の12月、大氷像制作をきっかけに、旭川市の隣町、大雪山のふもとに位置する東川町で、両氏のほか地元の農家の人らが集まり、冬は氷彫刻、夏は粘土の彫刻を行う「東川氷土会」が結成され、加賀城氏が初代の会長となった。

 以来、彫刻展や各地の冬まつりの氷彫刻コンクールで優秀な成績を収める会員が相次ぎ、「東川氷土会」としても72年から開催の「全国氷彫刻展」の第1回、第2回大会に連続優勝、東川町は氷彫刻の分野で全国にその名が知られるようになった。

 加賀城氏は氷彫刻会の全国組織である「日本氷彫刻会」会長を1974年より務め、野外での氷彫刻の全国への普及にも尽力、現在、北海道から沖縄まで、19支部約千名の会員数を誇る。また、氷土会の会員が中心になり、日本氷彫刻会を通じ、海外の氷彫刻のコンテストやセミナーに人を派遣、コンテストでは、優勝・準優勝に数多く輝いている。「国際雪氷像協会」会長のユハニ=リルベルグ氏から、世界的にも技術、規模の面で最高水準にあると評されている。こうした活動のなかで、33ヵ国の団体および個人とつながりができ、88年からは「全国氷彫刻展」も「氷彫刻世界大会」と名称を変え、海外からの参加も得て旭川で毎年開催されている。

 一方、地元では、教育委員会と協力しながら、小中学生の授業の一環として、彫刻の指導を行い、次世代をになう子どもたちに創造の喜びを教えたり、福祉施設の周辺に氷彫刻を展示したりしている。また年末には、東川神社に干支や灯篭の彫刻を展示し、初詣客を楽しませるなど、地域に密着した活動も忘れてはいない。

 氷だけでなく、ガラス、アモルファス、レーザー光線などと組合わせることによって、光と色彩あふれる新しい芸術作品への試みにも余念が無い。時を待たずに融けては消えゆく氷の彫刻。そのはかなさに美しさを感じるのは、散りゆく花を惜しむ日本人の美的伝統のなせる業といえるかもしれない。

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