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サントリー地域文化賞

活動詳細

四国

徳島県 阿波市 1989年受賞

阿波町 花いっぱい運動
町ぐるみで花の街づくりを展開、全国に輪を広げるふるさと美化活動

代表:安友 清 氏

1999年11月更新

写真
バーベナ・テネラの咲き乱れるまち

 花と人間のつきあいは古い。人間が花に美しさを感じたときから花の文化が始まり、花は私たちの生活に彩りと潤いを与えてくれるものとして、なくてはならない存在となった。

 四国三郎吉野川の豊かな流れに沿って広がる阿波町は、春から秋にかけての長い間、色とりどりの可憐な花で埋まる。花の名は「バーべナ・テネラ」。南米原産のかわいい花だが、開花期間が長く、しかも繁殖力抜群のしたたかな花である。この花に出会い、その魅力に夢中になった人たちが長年にわたって、庭や道端に、土手の斜面に、塀沿いにと植え広げていった努力が実り、全国に誇りうる花いっぱいの町をつくりあげたのである。

 それは1980年、町内の公民館に勤める井原まゆみさんと同町元町地区の花を愛する主婦たちによる、空地にバーべナ・テネラの苗を植えるささやかな「花ゲリラ」活動から始まった。83年には、町と住民が一体となって花苗配布、花壇コンクールなどによる花いっぱい運動を全町に展開。ごみの不法投棄の多かった河川堤防も花のじゅうたんに変わり、道路沿いを花で飾る「花街道づくり」は延べ30キロメートルに達した。

 もちろん、すべてが順調だったわけではない。雑草取りは手間がかかるし、植えたばかりの花が枯れることもあった。当初は心ない中傷や冷たい視線も少なくなかった。それでも、お母さんたちの情熱はバーべナ・テネラの花のように強かった。「元町花の会」をはじめとする主婦のグループが次々に誕生し、やがて各地区の老人クラブも花いっぱい運動に参加する。そして、県や全国の各種花コンクールに出品しては賞を獲得し、花の町阿波町の名を全国的に高めることとなった。

 さらに、花の苗を宅配する会社やフラワー工芸品を作るグループ、花の新種開発といった花関連産業も生まれ、町の産業に新しい刺激を与えるとともに住民が町づくりに関わる機会が増えた。若者たちもジッとはしておれず、公民館の青年学級から生まれた「やんぐ・かれっじ」が、「風船で空を飛びたい」「花馬車に乗りたい」などの青少年の夢をかなえる「夢想祭」を実施し、町づくりの一翼を担っている。花を通じての全国各地との交流も広がり、北海道富良野から鹿児島まで約200の市町村にバーベナ・テネラを贈っている。1990年に大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」に、町を挙げて出展し、苗作り、植え付けを住民の手で行った。

 しかし90年代に入ると花街道は減少しはじめ、運動方針の見直しがなされた。十数年間、美しい町づくりをめざして道路沿いの花植えを展開してきたが、生態系を考えれば、田園の中には園芸用の花よりもタンポポや蓮華草のような野草が似合うのではないか。そこで、沿道にこだわらずに公共施設など建物周辺への植栽を重視するようにした。さらに、花を植えることから、次のステップとして川の再生を目ざした活動へと発展していった。92年には大久保谷川クリーンクラブを組織し、毎月1回の川の清掃、水生動物調査、植物調査を実施し、堤防での雑木林の復元に取り組んでいる。

 バーベナ・テネラ一色であった家庭の花壇も次第に各自工夫を凝らした花壇へと変りつつある。花いっぱい運動が呼びかけた精神は地域に着実に根ざしていると言えるだろう。

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