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サントリー地域文化賞

活動詳細

近畿

兵庫県 尼崎市 1988年受賞

ピッコロシアター
演劇を中心とした文化創造の、地域における拠点づくり

代表:山根 淑子 氏

1999年11月更新

写真
公演前のピッコロシアター
正面入り口

 ピッコロシアターは、イタリアのミラノにある演劇の殿堂「ピッコロテアトロ」(小劇場)にあやかりたいとつけられた愛称で、正式名称は「兵庫県尼崎青少年創造劇場」という。

 兵庫県が進めていたCSR活動(文化、スポーツ、レクリエーション活動を促進し、若者たちの生きがい作りをめざす)の拠点施設として、1975年尼崎に劇場設立が計画され、設計にあたっては若者たちの発想にすべてが委ねられた。演劇好きの若者たち50名からなる建設委員会が幾度も開かれ、(1)「観ること」よりも「演じること」に主眼を置く、(2)演出の可能性を広げるために舞台を広くする、(3)音響を大切にする、の3点の基本方針を設定。舞台の床面積が客席の2倍の広さがある演劇主目的の大ホールをはじめ、中・小ホールや練習室、資料室、展示室を持つ創造活動のためのユニークな劇場が78年に誕生した。

 以来21年、かつては文化の香りを求めて京都、神戸、大阪へと出て行く傾向の強かった尼崎の地にあって、同ホールは逆に関西の若者をひきつける核となり、尼崎アルカイックホールや宝塚北高校演劇科の創設など、後続の文化行政にも大きな刺激を与えた。

 運営を中心となって進めてきたのは、26年間のホール運営の実務経験を持ち、演劇へのひたむきな愛情を持って取り組む山根淑子館長である。若者たちがプロの優れた舞台に触れる機会をと、文学座、演劇集団円、俳優座などを招き、積極的な自主事業を展開してきた。

 創立5周年の1983年には、演劇教育を通じた地域における文化活動のリーダー育成をめざして、全国の公立文化施設で初めて演劇学校を設立し、近畿一円から学生、会社員、主婦、教師、アルバイトなどさまざまな若者たちが集まった。これまでの卒業生はのべ600名を数える。

 また、92年にはクリエイティブなステージ作りのため、舞台を支える美術、照明、音響の技術者を養成する舞台技術学校を設立、さらにピッコロで育った人材をいかし、優れた現代演劇の創造と地域文化の振興を図るため、劇場開館15周年、演劇学校開設10周年の記念事業として、94年全国で初めての県立劇団「兵庫県ピッコロ劇団」を創設した。旗揚げ半年後、阪神・淡路大震災に見舞われたが、劇団員はいち早く被災地激励活動を行うなど公立劇団の役割を担った。

 劇団は創立以来、劇団代表の秋浜悟史氏をはじめ、演劇界を代表する人々の支援により、優れた舞台を創りあげてきた。こうした活動が評価され、県立ピッコロ劇団は、「私の夢は舞う」で97年「文化庁芸術祭賞<演劇部門>芸術祭優秀賞」、「風の中の街」「私の夢は舞う」で「紀伊國屋演劇賞団体賞」、さらに98年「尼崎市民芸術賞特別賞」を受賞した。

 地域における文化創造の拠点創りの模範として、その先駆的な活動は全国から注目を集めている。

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