活動詳細
三重県 志摩市 1981年受賞
佐藤 忠勇氏(個人)
半生を研究と事業化に捧げた、的矢湾での無菌カキ養殖
1999年11月更新

ありし日の佐藤忠勇氏
1887(明治20)年、東京の本所に生を受けた佐藤氏は、東北帝大農科大学水産学科(今の東北大)に入学、当時ほとんど手がける者がいなかったプランクトンの研究に従事した。1919(大正8)年、親戚の経営する真珠会社の役員として、三重県の的矢に赴いた。佐藤氏と的矢の海の、初めての出会いである。しかし、その真珠会社は解散し、佐藤氏は的矢湾での新しい水産事業を探し求めた。そんな時、氏の目にとまったのがカキの稚貝だった。“カキの養殖、これだ”。佐藤氏とカキとの長い歴史がはじまり、東京の自宅からの月に一度の的矢通いは半世紀以上続いた。
幸い大学時代の研究が物を言った。湾内のプランクトンの発生状況、水温、塩分、潮流などの調査の結果、3つの川が流入し、海水の流れがある的矢湾は、カキの養殖に最適と分かった。佐藤氏はここで、貝殻に付着した稚貝を海中に吊す「垂下式カキ養殖法」を開発、これまで2〜3年かかったものが、的矢ではわずか1年足らずで一人前に成長した。この佐藤方式は、やがて各地でも次々と採用され、佐藤氏自身も養殖指導に全国を飛び歩いた。
カキの養殖研究、養殖事業の長い歩みの中で、的矢のカキを一躍有名にしたのは、氏の発明した「流水海水浄化装置」による無菌カキである。カキは海水とともに細菌や大腸菌をとり込み、ときに病気の原因となる。何とか無菌カキをという佐藤氏の熱心な研究によって、カキは 18時間から20時間ですっかり内容物を入れ替えることが分かった。そこで紫外線で殺菌した海水槽に20時間浸すことで、全く無菌の“清浄カキ”を作ることに成功したのである。
現在の年間生産量は殻付200万個、剥身7000キログラム、増産希望は多いが、それ以上は生産しない。湾内のプランクトンの量からいっても、これが品質の良いカキを作る許容限界という。
“学問をいかに産業化するか”が研究にたずさわっていた佐藤氏の哲学だが、常に最高の品質を目指し、そのためコストがかかろうが手を抜くことはしなかった。
県の代表産業として的矢カキの名を高め、また養殖カキのパイオニアとしての長年の業績等によって、佐藤氏は1962年に藍綬褒章を受章、65年には勲四等を叙勲され、78年には日本水産学会名誉会員となった。
84年4月1日、佐藤氏は97歳の天寿を全うされた。しかし、的矢湾の海の美しさが続くかぎり、みずみずしい海の果実、的矢カキは、私たちに味の喜びを提供するであろう。




