活動詳細
兵庫県 神戸市 1980年受賞
国際ジャパネスク歌舞伎
女性や外国人も交え、アマチュアによる本格的な歌舞伎を上演
代表:海野 光子 氏
1999年11月更新

「先生、歌舞伎が演りたい」 ー この熱心なひとことが、“青い目の歌舞伎”として親しまれている「国際ジャパネスク歌舞伎(旧・カナデアン歌舞伎)」の始まりだった。
神戸の外国人学校カネディアン・アカデミィの日本語教師であった海野光子氏は、生徒達に日本文化をより理解させるため、1970年、日本文化研究会を創設、その活動の一つとして「修禅寺物語」を普通の日本語劇として上演する準備をすすめていた。海野氏は日本語劇を指導するかたわら、生徒たちを京都の南座に連れて行き歌舞伎を見せたところ、彼等はすっかりそれに魅せられてしまった。どうせやるなら「修禅寺物語」を歌舞伎で演りたいという生徒たちの熱意によって、翌71年5月に第1回のカナデアン歌舞伎「修禅寺物語」が上演された。
以後毎年公演を続け、始めは学内だけだった公演も、76年から神戸文化ホールで上演するようになり、77年には東京公演、80年の10周年記念公演には、海外からも卒業生が参加。演目も「番町皿屋敷」「頼朝の死」「元禄忠臣蔵」といった新歌舞伎や、丸本歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」、そして歌舞伎十八番の「勧進帳」「助六」にまで及んでいる。
台本作りから、演出、演技、せりふ指導まで、専門家の手を借りず、学生時代から歌舞伎の演出や、舞台を踏んだ経験のある海野氏が独力で行っている。しかし、言語、風俗、習慣のまるで異なる外国人のこと、現代の日本語では使われていない台本の意味を理解させ、歌舞伎独特のせりふまわし、立居振るまいを覚えさせることは並大抵ではない。公演前には約3ヵ月間、毎日6時間もの厳しい練習が続けられた。その舞台成果は、学芸会的あるいはもの珍しさの域をこえ、演劇として十分鑑賞できるレベルに達している。卒業生のなかには、全米学生演劇賞の受賞者や国際的に高い評価を受けつつある演劇人もいる。
1982年、「カナデアン歌舞伎」は一般の外国人・日本人にも広く門戸を開き、名称も「国際ジャパネスク歌舞伎」と改めた。本拠地のカネディアン・アカデミィ講堂や神戸文化ホールにとどまらず、ポートピア国際交流会館、さらには京都南座や東京・紀伊國屋ホールでの公演と、意欲的に活動を続けた。
しかし、1990年の20周年記念公演で、自主公演には事実上終止符が打たれた。その理由を海野氏は次のように語っている。「私個人で5百万円もの赤字をかぶり、これ以上続けられないのです。“継続は力なり”と言いますが、初めがあれば終わりもあるのは当然。今はスポンサーがあればさわりだけを上演するという形でやっています。この不景気でなかなかスポンサーもつきませんが、私が蒔いた小さな種が芽を出して、世界中で卒業生たちが活躍していることは嬉しいことです」と語る。




