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サントリー地域文化賞

活動詳細

九州・沖縄

長崎県 長崎市 1979年受賞

中島川を守る会
美化・景観保全から文化活動まで、中島川への思いを核とした幅広い市民運動

代表:田 拓朗 氏

1979年11月更新

写真
中島川まつり

 長崎市の中心を流れる中島川は、古くから長崎の顔として市民に親しまれてきた。江戸時代にかけられた19のアーチ型の石橋が流れに影をおとす風景は、まさに長崎情緒そのもの。

 その中島川は、戦後の原爆禍からの再建、復興、発展のあわただしい歩みのなかで、長崎人の心のなかから久しく忘れられた存在となり、荒れるままに放置されてきた。かつての清流はドブ川と化し、石のアーチもいたみがひどくなる一方。1973年、「このままだと川は死に、我々の心のふるさとも消滅する」と、故赤瀬守氏を中心に何人かの市民が集まり「中島川を守る会」が結成された。

 大学の先生、主婦、商店主、学生、青年会議所のメンバー……。ドブ川の清掃を手はじめに、共感の輪は次々と広がっていった。青年会議所提唱による1万人の市民を動員する大清掃をはじめ、清掃作業はあくことなく地道に回を重ねた。そのおかげで瀕死の川は生命をとり戻し、昔のようにコイやフナが姿を見せるようになった。全国でも珍しいアーチ石橋群の保存運動も活発に進められた。

 1982年7月、長崎を襲った大水害により眼鏡橋を含む9つの橋の大破、流出という被害を受けた。「中島川を守る会」は石橋群の完全復元をめざし国や県とねばり強い交渉を続けた。当初、すべての橋がコンクリート橋となる計画だったが、運動の結果、眼鏡橋の完全修復を実現し、完全復元とはならなかったものの、3つの橋を石橋で架けかえさせることができた。

 さらに、中島川に結ばれた心のつながりは、地域全体をまき込んだ市民の文化活動にまで発展した。「市民がつくる市民のまつり」がキャッチフレーズの中島川まつりは、若者が主役である。朝市や植木市、フォークフェスティバル、お年寄向けの憩いの広場など、手づくりのまつりは回を重ねるごとに長崎市民の中に定着、まつりが復活させた江戸時代のこどもの遊び「陸ペーロン」なども人気を集めている。住民運動から生まれた「中島川まつり」は、長崎の年中行事のひとつとして今も若者たちの手に引き継がれている。

 このほか、中島川をテーマにすえた市民美術展や中島川音頭の作詩、作曲、中島川を長崎の都市計画にいかすための提案など幅広い活動を展開。アーチ橋の一つ「桃溪橋」秘話に取材したオペレッタも、アマチュア劇団と協力して上演、広く県内外で話題となった。「中島川を守る会」が始めた様々な住民運動と文化活動は、新しい市民運動のモデルとして各方面から注目されている。

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