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盛岡バッハ・カンタータ・フェライン 「盛岡バッハ・カンタータ・フェライン40周年記念演奏会「バッハ作曲ヨハネ受難曲」」

  • 実施日時

    2017年3月20日(月・祝) 14:00

  • 実施場所
    盛岡市民文化ホール(マリオス)大ホール(岩手県盛岡市)
  • プログラム

    ヨハン・ゼバスチャン・バッハ作曲 ヨハネ受難曲(第4稿/1749年)BWV245

  • 出演

    【独 唱】
    語り手(福音史家) 及川 豊(テノール)、鏡 貴之(テノール)
    イエス : 小原 浄二(バス)
    ソプラノ : 藤崎 美苗、村元 彩夏、金成 佳枝
    アルト : 小原 伸枝、谷地畝晶子
    テノール : 鳥海 寮、西野 真史、沼田 臣矢
    バス : 淡野 太郎(ペトロ)、佐々木直樹(ピラト)

    【管弦楽】
    東京バッハ・カンタータ・アンサンブル(コンサートマスター : 蒲生克郷)
    Vn1 : 蒲生 克郷、大谷美佐子、吉田 篤、清岡 優子
    Vn2 : 海保あけみ、磯田ひろみ、西尾 優子
    Vla : 李 善銘、鈴木友紀子
    Vc : 牧野ルル子、豊原さやか
    Kb : 永田 由貴
    Fl : 阿部 博光、丹野恵美子
    Ob : 小畑 善昭、石井 智章
    Fg : 寺下 徹
    Gamb : 福澤 宏
    Org : 今井奈緒子
    Cem : 劔持 清之

    【合 唱】
    盛岡バッハ・カンタータ・フェライン

    【指 揮】
    佐々木正利

主催者からのレポートをお届けします。
1977年2月、岩手県盛岡の地に「カンタータを歌う会」として産声を上げた盛岡バッハ・カンタータ・フェライン(以下、フェラインと称す)は今年2017年に創立40周年を迎えました。40周年の節目を記念して企画した今回の演奏会では当会出身のソリスト13名に東京バッハ・カンタータ・アンサンブルの皆さんを迎え、当会常任指揮者の佐々木正利氏のタクトでバッハの代表作『ヨハネ受難曲』を演奏しました。演奏会開催にあたっては公益財団法人サントリー芸術財団より第5回ウィーン・フィル&サントリー音楽復興祈念賞、株式会社岩手銀行より特別協賛を頂きました。演奏会では総勢121名がステージ上にて熱演し、来場した1,098人の聴衆の皆さんとともに、音楽が持つ“喜び、癒やし、前に向かう力”を十分に堪能しました(写真)。会員一同、この場を借りて深く感謝します。


フェラインは主にJ.S.バッハの作品を中心としたドイツ・バロック合唱曲の研究と演奏を行っています。ドイツ・バロック音楽の権威である佐々木正利氏を常任指揮者に迎え、「“音楽が生きる”と“言葉が生きる”は歌の世界では同義語である」という音楽信条を掲げ、特にドイツ・バロック音楽を音楽的かつ人間的に表現することを目標に活動しています。
40年の歩みを振り返りますと、アマチュア合唱団として誠に恵まれた音楽体験を積み重ねることができたこと、そしてその活動を支えてくれた方が多く備えられていたことにただただ感謝するばかりです。まず、地元盛岡だけでなく、仙台そして東京、ドイツやスイスでも演奏する機会を頂きました。また、フェラインの歴史には、世界的バッハ演奏家にタクトを執って頂いた貴重な経験が盛り込まれています。すなわち、ヘルムート・ヴィンシャーマン氏とヘルムート・リリング氏、トーマス・カントール(バッハもかつて務めた聖トマス教会の音楽監督)のハンス・ヨアヒム・ロッチュ氏、ライプツィヒ大学教会のカントールであるダヴィット・ティム氏、ドイツ・デットモルト音楽大学元教授で、現在台湾のエヴァーグリーン交響楽団音楽監督のゲルノート・シュマールフス氏等、マエストロらのタクトで導かれるバッハ音楽の神髄に迫る数々の演奏会が思い起こされます。ドイツ・バロック音楽を音楽的かつ人間的に表現できる合唱団という熱い評価まで頂きました。
加えて、近年には山形交響楽団音楽監督の飯森範親氏のタクトによるモーツァルト作曲レクイエムの演奏、岡山フィルハーモニック管弦楽団首席指揮者のハンスイェルク・シェレンベルガー氏のタクトによるブラームス作曲ドイツ・レクイエムの演奏にも合唱団として参画する機会も頂きました。フェラインがこのような幸せな音楽経験を得ることができたのは一にも二にも当会常任指揮者の佐々木正利氏によるものであり、40周年を迎えた今、会員一同、改めてその幸せをかみしめています。

今回、40周年の節目に選んだのはバッハの代表作『ヨハネ受難曲(第4稿/1749年)』です。イエス・キリストの受難を扱うこの作品はドラマティックかつドラスティックな曲であり、波瀾万丈の物語や人間の醜さが赤裸々に語られるように作曲されています。ヨハネ受難曲が初めて作曲されたのは1724年ですが、再演の度に改訂が重ねられているのはよく知られております。今回取り上げる第4稿はバッハが亡くなる前年に書き直されたものです。
フェラインは1985年のバッハ生誕300年記念演奏会と2007年の30周年記念演奏会でヨハネ受難曲を取り上げております。フェラインにとっては思い入れのある曲です。今回は第4稿を演奏曲目としました。

今回の演奏会では40周年の歩みをフェラインに関わりのある全ての方々で祝いたいという思いから、全てのソリストはフェラインの出身者が務めました。また、これまで何度も共演させて頂いた東京バッハ・カンタータ・アンサンブルの皆様に出演を依頼しました。
ソリストの中には日本音楽コンクール等、数々のコンクールで高い評価を得た会員、世界的バッハ演奏グループの一つであるバッハ・コレギウム・ジャパンで活躍している会員等、(いささか手前味噌的な言い方が許されるのであれば)我が国のクラシック音楽界を支えているような方が多数含まれています。盛岡でのフェライン40年の歩みからこのような人材が多数輩出されたという事実を前にして、その幸いを強く感じます。
また、東京バッハ・カンタータ・アンサンブルの皆様もバッハ演奏の第一人者であると同時に、フェラインが掲げる音楽信条に深い理解を寄せて頂いている方々ばかりです。今回の演奏会でも言葉が生きるようにと願ったのでしょう、通奏低音のパート譜にコラールの歌詞を書き込んで演奏した奏者もおられました。書き込みされた楽譜の向こう側に音楽に真摯に向き合う姿を垣間見た思いがしました。

演奏会運営面に関しては、フェライン会員のうち数十名の有志が40周年記念演奏会実行委員会を立ち上げて演奏会準備を進めて参りました。各実行委員がそれぞれ本業の合間に演奏会準備を進めたので、演奏会の準備は決して順風満帆に進んだというわけではありませんでしたが、企画立案、共演者対応、印刷、チケット管理、ケータリング、ステージ管理、受付、特別会計等、各係で準備を進めました。

以上のような経過を経て、3月20日に演奏会に臨むことができました。地元盛岡だけでなく、仙台や首都圏、遠くは金沢や高知からもフェラインの会員や一般のお客様が大勢演奏会へ来場くださり、1,000人を超えて大入りとなりました。「独唱と合唱で、イエス・キリストの受難の物語が劇的に表現された演奏会(2017年3月23日付 岩手日報)」となり、聴衆を大いに魅了しました。会員が事前に準備した日本語字幕も演奏会の成功に一役買いました。
一方、運営面では主催者としてフェライン会員や関係者が一丸となって演奏会を切り盛りしました。しかし、チケットブースでは一時的にスタッフや両替金が不足する事態となり、一部の来場者の皆様にはご迷惑をおかけしてしまうことになりました(この場を借りて深くお詫びします)。今回の演奏会運営で得られた教訓は次の機会に生かしたいと考えています。

今回の演奏会を振り返りますと、改めて40周年を祝うに相応しい曲目、出演者の陣容であったと感じます。そして多くの方々からの協力、熱意によってこのように素晴らしい演奏会に仕上がったことを感謝したいと考えます。加えて、フェラインの音楽を楽しみにしている方が大勢いることにも感謝したいと考えます。
演奏会後、フェラインは新たな曲としてバッハ作曲のカンタータ147番とモテットに取り組みはじめました。会員一同、これからもいたずらに自己規制などせず、本物に憧れ、本物を目指して努力していきたいと願っております。個々の力は小さくとも、それが一つの目標に向かって集まれば大きな力となります。そのような私どもフェラインの存在が震災から立ち上がろうとする人々にとって僅かでも力になるのであれば、これほど嬉しいことはありません。