ものの見事に「東高西低」の結果となった。ここ数年もその傾向はあったのだが、北海道2件、東北2件、関東1件という受賞分布がここまで東に偏るとは。無論それは東と西に何か有意味な相違があることを意味しない。一つの現象にすぎぬ。
さて地域文化賞選考委員を20年務め、今年でおりる。この20年間、賞のあり方は随分と変わった。昔はお一人様受賞があった。しかし功労賞的になり、後が続かない。折角賞金を差し上げたのに、それを機に解散という例もあった。沿革が古いものばかりに目をやると、どうしても功労賞的色彩が強まる。それもあって、比較的年次の浅いものでも、後が面白く続きそうなものに、それこそ奨励賞的に出す方針に次第に変わってきた。審査の網の目も広くそして細かくしたが故に、地域文化賞は毎年激戦となった。断じて競争が目当てではないのだが、20年を経て、「東はより一層、西は今度こそ」のハレの受賞を期して欲しい。
では、一つ一つ北から見ていこう。「うたのぼりお祭りスタッフ」は、歌登(うたのぼり)のイベントを寒い時からあれこれ企画し、神輿をかつぎ「ニューイヤーフェスティバル」をメインに「屋台祭」を実施する。無理なくメンバーシップが構成されている点に感心する。男女も年代も幅広く、皆が積極的にアイデアを探し、「うたレンジャー」が人気者になるすばらしさ。とにかく楽しいのです。
「FMピパウシ」は地道な肩肘はらない、それでいて息長い文化継承を柱とする、日本唯一のアイヌ語放送局でボランティア的運営がなされている。直接放送を聞ける人は多くはないが、その内容の独自性でデータがアーカイブされ、放送後も利用に供されるという未来志向性がとてもよい。今や多様なアイヌ文化の集積地となる。アイヌ語を話せる人物が育つなんて夢のような環境だ。
「上桧木内(かみひのきない)の紙風船上げ」は、1970年代に復活し、今や全集落横断の形で諸々の大きな紙風船が、12月頃から作られる。年代を問わず皆で集まって作るのに味がある。ノミュニケーションももちろん。コロナ禍の2年間にも自主制作そして無観客打ち上げを行った熱意がすごい。だから昨年の豪雨被害もものともせず開催した。晴れの時も雨の時も紙風船上げはずっと続いていくだろう。
「請戸(うけど)芸能保存会」の活動は、涙なしには語れない大災害による地域崩壊をいかに耐え忍んで今の文化継承の形にしたかの物語である。江戸期から続く田植踊だが、1980年代に児童たちが踊り手を担う形が整った。それを壊滅させたのが東日本大震災であった。その後災害危険区域に指定されたことにより半永久的に戻れない。そんな中、被災わずか5か月後に最も早く公演を実施したのだ。そしてそれを地域や参加者を広げつつなお未来へむけてがんばっている。不屈の精神よ永遠なれ。
「利根地固(とねじがた)め唄保存会」は、改めて日本は治水の国という歴史を思いおこさせる。江戸時代からの仕事唄の伝承とそれを通じての治水についての学習が広がる。多くの地固め唄を復元し歴史資料に残すのは1980年代後半からだ。人口減少で統合された小学校で、この治水の伝承を広げ住民交流の場にするなど、そのきめ細かいやり方には驚きを禁じえない。
御厨 貴(東京大学名誉教授)評
◎受賞理由
大晦日に牧草ロールの神輿を担いで練り歩く行事をはじめ、地域の様々なイベントを企画し、祭りの担い手となって歌登(うたのぼり)を盛り上げる。毎年リーダーを交代し、参加者を楽しませながら自らも楽しんで活動を継続している点が評価された。
◎活動概要
北海道北部、宗谷地方の南に位置する枝幸町(えさしちょう)には、酪農と林業を主産業とする人口1,200人ほどの歌登地区がある。1980年代には過疎化が進み、地区内の集落では神社の祭りを開くにも人手が足りず、地域の活気が失われつつあった。この状況を危惧した若者たちが、地域を元気づけたいと1986年に「うたのぼりお祭りスタッフ」を結成(結成時は「歌登町お祭りスタッフ」)。以来、入れ替わりはありつつも、毎年60人を超えるメンバーで、独自のイベントを主催するほか、地域行事や祭りの担い手となり、歌登を盛り上げてきた。
活動の目玉となっているのが、「ニューイヤーフェスティバル(開運祭(まつり))」だ。大晦日の夜、酪農の象徴である、重さ約250キロの牧草ロールを神輿に載せて市街地を練り歩き、地区の中心にある歌登八幡神社へ奉納する。奉納後は、神社に隣接した特設会場で、年越しの瞬間にあわせて牧草ロールを焚き上げ、花火を打ち上げる。会場では甘酒や日本酒が来場者に振る舞われ、牛肉や海産物のバーベキューが提供される年もある。新しい年への思いの丈を叫ぶ大声コンテストなども開催され、歌登に帰省する人たちを含め、住民皆で楽しむ行事となっている。
2001年からは、秋に「屋台祭」を開催。スタッフたちが手作り料理の屋台を出し、子どもから大人まで楽しめる企画を展開する。とりわけ人気なのが、脚本・出演・衣装制作までスタッフが手がけるオリジナルの戦隊ヒーロー「うたレンジャー」だ。地元の地名や旬の話題を盛り込んだストーリーで会場を大いに沸かせる。
これらのイベントの主催に加えて、地域の祭りやイベントを盛り上げることも、うたのぼりお祭りスタッフの大事な活動となっている。歌登八幡神社の夏の祭礼では神輿の担ぎ手となり、地区の「サマーフェスティバル」には実行委員として参加。牧草ロール転がしや丸太切り競争など、ユニークな企画を考案し、当日の運営も担う。冬には子ども会の活動に協力し、1日限りのスケートリンクを、夜間に2週間かけて造成する。
こうした精力的な活動は、中心となる「リーダー」をはじめ、役員が毎年交代する形で継続されてきた。退任した役員も、その多くが一スタッフとして活動をつづけ、ノウハウを引き継ぎながら運営を支える。結成以来、「歌登を盛り上げる」「スタッフ自身が楽しむ」ことを大切にしており、恒例となっているイベントも年によって内容を変えるなど、より楽しい場にするための工夫を重ねてきた。
いまやリーダー経験者は30人を超え、歴代のスタッフ数は300人に迫る勢いだ。世代を超えて受け継がれてきた「歌登愛」は、これからも北の大地を熱く盛り上げていくだろう。
◎代表者および連絡先
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〈代表〉 |
◎受賞理由
ミニFMラジオ局としてアイヌ語やアイヌ文化を発信。放送をインターネット上で公開することで世界へ届けると同時に、アイヌ文化にかかわる人と情報が集まる拠点にもなっている点が評価された。
◎活動概要
北海道南西部、日高地方に位置する平取町二風谷(びらとりちょうにぶたに)は、アイヌの伝統が受け継がれる地域として知られ、アイヌ語の普及活動、木彫刻や刺繍の制作、舞踊、民具の保存継承、町内の子どもたちへの教育普及、アイヌ文化伝承者の育成など、多様な活動が行われている。この地で、アイヌ語やアイヌ文化について発信するラジオ局がある。
二風谷出身の萱野 茂(かやの しげる)氏は、長年アイヌ文化の継承に尽力する中で、海外の先住民族が自らの母語で放送するラジオ局の存在を知り、感銘を受けた。「日本にもアイヌ民族が発信するラジオ局をつくりたい」と決意し、2001年にミニFM放送局「FMピパウシ」を開局した。「ピパウシ」は地元の地名に由来し、アイヌ語で「カラスガイがたくさんいる所」を意味する。
初回の放送で、茂氏はマイクに向けて語り掛けた。――ネユン ポカ アイヌイタㇰ ヤイカッチピ、ケサンニヨ コㇿ(アイヌ語が生きた言葉として蘇ることを心から願う)。伝統が急速に失われゆく中、ラジオを通じてアイヌ語を復興する試みが始まった。放送は毎月1回、第2日曜日の午前11時から1時間行われている。内容はアイヌ関連のニュースや書籍の紹介、アイヌ語講座、アイヌ文化にかかわる人へのインタビュー、過去に録音された古老のアイヌ語音声の紹介から地元のニュースまで多岐にわたる。
微弱電波を使用する「ミニFM」の送信システムで放送するため、直接放送を受信できるのはスタジオから半径200m程度だが、開局当初より番組の録音データをインターネットでも公開している。ラジオ番組の録音データをインターネットで発信する取り組みは、当時としては画期的であった。300回以上にのぼる番組アーカイブは、アイヌ語、アイヌ文化、平取・二風谷地域に関する貴重な蓄積となっている。
茂氏が2006年に逝去すると、開局当初から活動に参加していた息子の志朗氏が引き継いだ。現在運営を担うメンバーは、会社員、公務員、学芸員、教員やアイヌ語講師などの立場から、アイヌ文化にかかわる地元住民たち。二風谷に生まれ育った人もいれば、道外から移住してきた人もいる。FMピパウシには、こうしたメンバーやゲストを介してアイヌ文化に関する様々な知識や経験が集まる。そしてラジオで得た知見を各自のフィールドに持ち帰るという循環が生まれており、平取・二風谷のアイヌ文化にまつわる多様な人と情報の交流拠点となっている。
近年では、アイヌ語を話せる若い世代が育っており、「アイヌ語を生きた言葉として蘇らせる」という茂氏の願いが実現しつつあると志朗氏は語る。人々がアイヌ語で語り、発信し、次の世代へアイヌ文化を受け継ぐこと。それがFMピパウシの変わらぬ願いである。二風谷の小さな放送局は、これからも世界に向けてアイヌの声を届け続けるだろう。
◎代表者および連絡先
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〈代表〉 |
◎北海道内のこれまでの受賞者
蘭越町 蘭越パームホール(2024年)
函館市 函館市民映画館シネマアイリス(2022年)
鹿追町 しかりべつ湖コタン(2021年)
函館市 函館西部地区バル街(2019年)
上川地域 「君の椅子」プロジェクト(2015年)
釧路市 北海道くしろ蝦夷太鼓(2010年)
壮瞥町 昭和新山国際雪合戦(2007年)
札幌市 加藤 博氏(個人)(1999年)
札幌市 YOSAKOIソーラン祭り(1998年)
函館市 市民創作「函館野外劇」の会(1993年)
士別市 士別サフォーク研究会(1991年)
札幌市 札幌こどもミュージカル(1990年)
東川町 東川氷土会(1989年)
置戸町 おけと人間ばん馬(1987年)
函館市 南茅部沿岸漁業大学(1985年)
旭川市 木内 綾氏(個人)(1983年)
江差町 江差追分会(1982年)
函館市 カール・ワイデレ・レイモン氏(個人)(1979年)
◎受賞理由
山間の8集落からなる地域で毎年冬の時期、集落ごとに住民が集まって大きな紙風船を協同で制作。厳寒の2月に一斉に打ち上げる。人口減少で担い手が減るなか、住民の熱意によって伝統行事を継承し、地域の絆を深めている点が評価された。
◎活動概要
秋田県仙北市(せんぼくし)の山間にある上桧木内(かみひのきない)地区では毎年2月10日、灯のともされた巨大紙風船が打ち上げられる。雪の降りしきるなか、夕方から夜にかけ約80個の紙風船が空に舞う。願い事や色とりどりの絵が描かれた高さ約5~8メートルの紙風船は、全て手作りだ。
上桧木内の紙風船上げは、江戸時代、銅山の技術指導に訪れた平賀源内が上桧木内に滞在した際に熱気球の原理を応用した遊びとして伝えたとされている。古くから地域で親しまれてきたこの行事は太平洋戦争で途絶えていたが、1970年代半ばに住民の熱意により一つの集落で復活。数年後には上桧木内の全8集落で再び行われるようになった。当初は集落ごとに打ち上げていたが、1987年からは全集落が一堂に会して行うようになり、今では多くの観光客が訪れる秋田県を代表する冬の風物詩となっている。
紙風船の制作が各集落で本格的に始まるのは毎年12月頃。紙の裁断・貼り合わせから、絵柄の選定、下絵描きや色塗りに至るまで、住民たちが協力して行う。各集落で作る紙風船は毎年5~10個ほど。一つの紙風船は、縦5~8メートル、横3~4メートルほどの長方形の紙を4面貼り合わせて出来上がる。最も大変な作業は絵付けで、大きな紙いっぱいに「五穀豊穣」「無病息災」といった願い事や、武者絵や美人画、その年を象徴する絵柄などを、色塗りと乾燥を繰り返しながら、時間をかけて仕上げていく。
紙風船の制作は真冬の時期と重なる。豪雪のなか週に1~2回、子どもから年配者まで数人~10人ほどが各集落会館に集う。帰省した若者が参加することもある。住民たちにとって、紙風船制作のために集まり、おしゃべりをしたり、飲食をともにしたりすることは冬の楽しみの一つであり、大切なコミュニケーションの場となっている。
地域でかけがえのないこの行事は、ときに困難のなかでも続けられてきた。2021、2022年はコロナ禍で2月10日のイベントが中止となったが、2022年には住民有志で数個ながら紙風船上げを行った。2025年夏の豪雨では田畑や民家、紙風船の打ち上げ会場や制作会場も浸水による大きな被害を受けたが、支えてくれた人たちに紙風船を通じて感謝を伝えたい、地域を盛り上げたい、という思いで住民たちは結束し、開催にこぎつけた。また近年、人口減少により紙風船に携わる人が減っているなか、地区外からの制作希望者を積極的に受け入れるなど、担い手を広げる工夫にも取り組む。
「紙風船を上げたい」という住民たちの思いが、上桧木内の紙風船上げの原動力となっている。人々の心をつなぐ大きな紙風船は、これからも真冬の上桧木内を温かく照らし続ける。
◎代表者および連絡先
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〈代表〉 |
◎秋田県内のこれまでの受賞者
秋田市 秋田県民謡協会(2021年)
小坂町 エコの文化が根づくまち 小坂(2010年)
大仙市 大曲の花火(全国花火競技大会)(2006年)
羽後町 西馬音内盆踊保存会(2003年)
秋田市 秋田伝承遊び研究会(1980年)
◎受賞理由
東日本大震災で壊滅的な被害を受けながらも、「田植踊(たうえおどり)」の継承の灯を絶やさず、新たな担い手を加えて祭りでの演舞と各地での公演を続ける。多くの人々の心の拠り所として郷土芸能の継承に尽力する点が評価された。
◎活動概要
太平洋に面した福島県浪江町請戸(なみえまちうけど)。古くから漁業で栄えたこの地には、千年以上の歴史を持つ苕野(くさの)神社が海のそばに鎮座し、毎年2月に行われる安波祭(あんばまつり)で、海上安全・豊漁・豊作を祈り「田植踊」が奉納されてきた。
田植踊は、田植えの様子を模した構成で、色鮮やかな花笠をかぶった踊り手たちが、太鼓や唄に合わせて舞う。東北地方の他地域でも伝承されているが、請戸の田植踊は、特に踊りの振付が華やかだと評する専門家もいる。
元々は地元の青年団が継承してきたが、継承を確かなものにするため、1965年に「請戸芸能保存会」が設立された。1980年代になると、請戸地区の小学4~6年生の女子児童が中心となって踊りを担うようになった。
しかし東日本大震災の津波により、請戸地区は壊滅的な被害を受ける。苕野神社の社殿は全壊流失し、踊りの衣装や道具も全て失われた。その後、地区の大部分は災害危険区域に指定され、半永久的に居住が不可能となり、保存会メンバーや踊り手の子どもたちも各地での避難生活を余儀なくされた。
そんななか、当時保存会副会長を務めていた佐々木繁子(ささき しげこ)氏は、震災直前の安波祭で田植踊を披露した子どもたちに、祭りの写真を渡せていないことを悔やみ、新聞を通じて写真提供を呼び掛けることにした。これを見たいわき市の神社の宮司から、いわき市で行う復興公演への出演依頼があった。子どもたちからは「また踊りたい」と声があがり、佐々木氏の避難先などでは、衣装や道具の制作を無償で援助してくれる人も現れた。多くの人に背中を押され、被災5か月後の2011年8月に公演を実施。被災により地元を追われた福島県内の民俗芸能団体の中では、震災後最も早い公演であった。これを機に、保存会として「慣例よりも、伝統芸能を絶やさず続けていくことが何よりも大切」と考え、それまで踊り手の資格となっていた年齢・居住地の制限をなくした。
現在、保存会には小学2年生から60代まで22人の踊り手がいる。請戸出身で今は他地域に暮らす人や、県外の公演で踊りを見て心を動かされた人などで構成されており、居住地も福島県内を中心に、東京や新潟など様々だ。
踊り手たちは離れて暮らしているため、普段は踊りの録画映像を観て自主練習を行っており、公演の連絡が入ると各地から駆け付け、前日に全体練習を行い、本番に臨む。保存会の活動としては、2011年から2026年の間に県内の仮設住宅等で、70回以上の公演を行い、現在は社殿が再建された苕野神社での安波祭に加え、県外などでの公演も続けている。
かつて住宅が建ち並んだ苕野神社の周辺は、今も更地のままだ。大きく姿を変えてしまった地域で、請戸の田植踊は、請戸を思う人たちの「ふるさと」となり、多くの人々の心をつないでいる。
◎代表者および連絡先
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〈代表〉 |
◎福島県内のこれまでの受賞者
会津若松市 はるなか(2022年)
郡山市 民俗芸能を継承するふくしまの会(2021年)
川俣町 〈特別賞〉コスキン・エン・ハポン(2011年)
会津若松市 童劇プーポ(1995年)
川俣町 コスキン・エン・ハポン(1993年)
檜枝岐村 檜枝岐 いこいと伝統の村づくり(1992年)
いわき市 いわき地域学會(1991年)
福島市 F.M.C.混声合唱団(1979年)
◎受賞理由
かつて利根川の治水工事の際に作業員たちが歌っていた仕事唄「利根地固(とねじがた)め唄」を収集、保存し、歌い継ぐ活動を行う。地元小学校での指導を通じて、次世代に唄を継承するとともに、治水の歴史を伝え防災意識の向上にも貢献している。
◎活動概要
茨城県南部の利根町(とねまち)は、利根川を挟んで千葉県と接する水辺の町。江戸時代に始まった、利根川の流れを江戸から銚子方面に変える「東遷(とうせん)」事業の拠点の一つだった。利根川東遷事業は、江戸を水害から守り、流域の新田開発を行い、江戸と東北を結ぶ水運開発に大きな役割を果たした。利根町では現在、河川工事で歌われていた仕事唄「利根地固め唄」を伝承する活動が行われている。
利根地固め唄は、作業員が動作のタイミングをそろえ、仕事の疲労を忘れるためのもので、「土羽(どは)打ち唄」、「石ダコ打ち唄」、「杭打ち唄」という三種類に分類できる。土羽打ちは細い丸太で土手の法面(のりめん)をたたいて固める作業。石ダコ打ちは石臼状の石に八本の綱をつけて上下させることで土を固める。杭打ちは大きな三脚を立てて杭を打ち込むもので、それぞれの唄に合わせて作業を行う。
1950年頃まで河川工事はほぼ人力だったがその後は機械化が進み、地固め唄も次第に忘れられていった。1985年に茨城県で民謡の調査が行われた際に、利根町には地固め唄が数多く残っていることがわかった。貴重な唄を継承するため、1989年、有志によって「利根地固め唄保存会」が発足した。保存会では町と協力して、流域に残る唄を調査するとともに、河川工事経験者から所作を学んで復元し、さらに歴史資料の整理にも取り組んだ。利根町に伝わる唄の中には、岐阜や岡山から伝わったとされるものもあり、遠方の人々も工事にかかわっていたことがうかがえる。
現在、保存会では毎月例会を開催し、地固め唄の伝承に努めている。毎年3月に利根川沿いの町役場で行われる「利根町さくらまつり」で実演を行うほか、依頼があれば県内外でのイベントに出演する。視察研修旅行も企画し、各地の治水の歴史や地固め作業について学ぶ機会を設けている。
1996年に利根地固め唄が町の無形文化財に指定され、この年から保存会による地固め唄の指導が地元小学校で始まった。さらに、2002年には茨城県の無形民俗文化財に指定された。当初は町内に五つある小学校のうちの一校での指導だったが、小学校が一つに統合された現在は、町の全児童が地固め唄を学ぶようになった。授業では唄や所作の習得だけでなく、利根川の治水や洪水の歴史も学ぶため、郷土への理解を深め、防災意識を高める機会にもなっている。
江戸の繁栄を支えた利根川の治水は、教科書に載るような歴史上の有名人が数多くかかわっているが、工事に駆り出された無名の人々が歌い継いだ仕事唄の記録は少ない。利根地固め唄保存会の活動によって、工事を支えた人々の唄を後世に残し、地域の歴史とともに次世代に歌い継がれていくことが期待されている。
◎代表者および連絡先
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〈代表〉 |
◎茨城県内のこれまでの受賞者
かすみがうら市・土浦市・行方市
霞ケ浦の帆引船・帆引網漁法の保存活動(2021年)
桜川市 真壁 伝統ともてなしのまちづくり(2011年)
つくばみらい市 つくばみらい市綱火保存連合会(2008年)
取手市 取手アートプロジェクト(2007年)
常陸大宮市 西塩子の回り舞台保存会(2006年)
土浦市 土浦 歴史と自然のふるさとづくり(1987年)
以上