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ニュースリリース
  • (2020/11/16)

第42回 サントリー学芸賞 選評

〔政治・経済部門〕

酒井 正(法政大学経済学部教授)
『日本のセーフティーネット格差 ―― 労働市場の変容と社会保険』(慶應義塾大学出版会)

 日本は「国民皆保険」の国である。すべての人が公的医療保険や公的年金に加入していることになっている。正確に言うと、加入する義務を負っている。しかし、国民健康保険では2割の人が保険料を未納しているし、国民年金では3割近くの未納月数がある。原因は、非正規雇用の増加である。本来セーフティーネットが必要な雇用が不安定な人のセーフティーネットがなくなっている。一方で、雇用が安定している正規社員で勤続年数が長い人には手厚いセーフティーネットがある。これが本書のタイトルになっている「セーフティーネット格差」である。
 非正規雇用者はなぜ国民皆保険から漏れ出てしまうのだろうか。日本の社会保険が正社員を対象としたものと自営業を対象としたものから成り立ってきたという歴史的背景が原因の一つである。自営業や非正規の人は、国民健康保険と国民年金に加入することが義務付けられている。著者たちの研究結果によれば、非正規の未納率が高いのは、所得が低いことが主要な理由である。国民年金や国民健康保険の保険料が逆進的だからである。国民年金や国民健康保険は定額となっている部分が大きいので、低所得の人ほど社会保険料負担率が高いという逆進性が生じている。
 では、現在政府が進めているように非正規雇用者を正規社員の保険に加入させるようにすれば問題が解決するのだろうか。著者は、それだけでは不十分だと言う。なぜなら、社会保険では給付の要件に、過去の拠出を条件にすることが多いからだ。典型的なのは日本の失業保険である。失業者の中で失業給付をもらっていない人が増えているのは、社会保険料を支払っていた期間が足りない人が増えているためである。
 酒井氏は、国立人口問題・社会保障研究所で長い間日本の社会保障について政策の近くで研究したのち大学に転じた気鋭の経済学者である。本書からは、経済学と実証分析の鋭さと同時に、制度と現実とのバランスを保つ姿勢が随所に感じられる。研究者としては、ある分析結果が得られると、それを実際の政策に活かしたいと思うところである。しかし、そのような政策提言が簡単に実現できないことを熟知している著者はとても慎重である。利害関係の存在、政策効果が限定的な可能性、政策のもつ副作用が存在するからである。政策効果の有無を政策担当者に提示してきた著者の経験をもとに、客観的根拠に基づく政策形成(EBPM)の有効性を議論した部分は興味深い。社会保障関係の政策は、利害調整で進むことが多い。効果がない政策でも利害関係者が一致して賛成すれば実施され、効果があっても利害対立が激しければ実施されない。逆に言えば、政策目標に対立がなく、政策効果が不確実か複数の選択肢がある場合にこそEBPMが効果的だ。また、EBPMが進まないのは、野党やマスコミ等の行政への対抗勢力が、エビデンスに関するリテラシーをもっていないからだという指摘も説得的である。
 政策に近い現場で研究を続けた経験を背景に、日本のセーフティーネットのもつ問題点を明らかにした功績は非常に大きい。具体的な政策提案とその効果検証について酒井氏がこれから研究を進めてくれることを、本書は十分に期待させてくれる。

大竹 文雄(大阪大学教授)評



〔政治・経済部門〕

詫摩 佳代(東京都立大学法学部教授)
『人類と病 ―― 国際政治から見る感染症と健康格差』(中央公論新社)

 新型コロナウイルス感染症の世界的流行によって、現在、人類は感染症の怖さをまざまざと感じている。緊急事態宣言のさなか、おそるおそる開いてみたウェブサイトでは、天然痘、ペスト、ジフテリアに感染すると人間の体はどうなるかという写真を掲載していた。当然のことながら、見たこともない激烈な身体の異変である。現代日本の私たちは、こうした病気といかに縁遠くなったことだろうか。
 だが私たちは、これらの病名を知識として知っている。感染の現実と病気への知識との間を結びつけるものが、医学と公衆衛生の発展であり、さらにそれらを記録する書き手である。
 本書は、現代日本の外交史家が、国際政治史の視座でこの問題に取り組んだ最良の入門書である。そこでは、感染症対策という課題と健康増進という課題とが、重なり合いつつも独自の二つの争点を持つ楕円構造として、描かれる。いずれも人類の歴史に深く根ざした問題である。
 交通機関の発達によって人と物の移動が加速し始めた19世紀後半から、これら二つの争点が国際的な取り組みを必要とする課題であると徐々に認識され始める。国際衛生会議の開催が重ねられ、第一次世界大戦後、国際連盟のもとで常設の国際連盟保健機関が設立された。第二次世界大戦を経て、これが世界保健機関(WHO)となるのである。ここでは、公衆衛生の専門家による国境を越えた活動と、国家による外交努力とが不可欠である。WHOを中核とする国際的な枠組みは、かつての米ソ、現在の米中という大国の対立と協調に翻弄され、期待も大きい反面、期待外れともなれば大きな非難を浴びもする。
 天然痘、ポリオ、エイズ、サーズといった感染の蔓延を防ぐ取り組みが徐々に進む一方で、肥満、喫煙といった生活習慣がもたらす健康被害も、「ポジティブヘルス」として国際的な取り組みの対象に加えられる。具体的な被害が見えやすい感染症とは異なり、生活習慣から生じる健康被害については、プログラムが先行し、国家間合意は遅れてやってくる。
 感染症と健康増進という楕円構造からなる国際関係の歴史を読み終えた後に気づかされるのは、目下最大の課題である新型コロナウイルス感染症対策においても、感染症の抑え込みだけではなく、精神疾患や肥満、アルコール・糖分の過剰摂取など、もろもろの健康被害への対策とともに把える必要があることだ。感染症対策が他の施策を包み込みつつ、政治的判断を下支えしていく。WHOはそうした施策の総合的な枠組みを構築しつつ、必ずしも従順ではない各国に対し粘り強く協力を促していくのである。
 私たちは、ともすれば、早くワクチンや治療薬を手にし元の世界へ戻りたいという衝動に駆られがちである。そのため科学を無視した楽観的な見通しが随所で語られている。特に日本ではこれまで感染症についての歴史と国家間の角逐とを見据えた議論がほとんどなされていない。極論やフェイクニュースが飛び交う中、著者には、感染症を抱えた世界を見据え、日本の社会に対して適切な知見を提示し続けることを切に希望したい。たえざるグローバル・パンデミックのリスクを抱えた世界を前に、感染症対策とポジティブヘルスの奥行きを触知しながら問題のありかを照らす論者が、今何にもまして必要なのである。

牧原 出(東京大学教授)評



〔芸術・文学部門〕

李 賢晙(小樽商科大学言語センター准教授)
『「東洋」を踊る崔承喜(チェ・スンヒ)』(勉誠出版)

 崔承喜(1911-69)といっても、いまでは知る人は少なくなったかもしれない。しかし、戦前の日本では帝国日本を代表する朝鮮出身の舞踊家として一世を風靡し、日本語読みされたサイショウキという名前は全国にとどろき渡っただけでなく、世界での公演旅行を通じて国際的にも高く評価された。本書はその崔承喜が日本で活躍した1926年から45年の期間に焦点を当て、膨大な資料を掘り起こしてまとめた労作である。
 崔承喜に関する先行研究としては、日本では高嶋雄三郎による先駆的な評伝があり、1990年代以降韓国でも再評価が進んで続々と研究が出てはいるものの、彼女が舞踊家として最も充実した時期を過ごした日本における活動を、本書のように当時の日本文化の文脈の中に置いて本格的に分析したものはほとんどなかった。著者、李賢晙氏のとった方法は極めて明確なもので、自伝・小説・同時代の日本の文化人の批評といったテクストから、崔承喜が登場する映画、写真、絵画まで、当時の日本の文化・芸術の世界にほとんど遍在していた崔承喜のイメージを広範囲にわたって分野横断的に調査し、一つ一つ丁寧に分析していくのである。今日出海は彼女をモデルにした伝記的映画『半島の舞姫』を監督し、川端康成は彼女を「日本一」の舞踊家とほめたたえ、梅原龍三郎、鏑木清方、小林古径などの画家がこぞって踊る彼女の姿を描き、多くの有名無名の写真家たちが撮った彼女の写真がグラフ雑誌から商業広告にまであふれたのだった。
 李賢晙氏は崔承喜の「舞踊写真」に「消費」「芸術」「政治」「民族」という四つの要素を読みとるのだが、これは崔承喜という舞踊家の置かれた複雑このうえない状況を端的に示すものである。舞踊芸術を一途に追求しながらも、商業主義の波にのってコマーシャルのアイドルとなり、朝鮮の伝統舞踊を復活させようとしながらもその一方でモダンガールとして「新しい女性」のイメージ作りに加担し、左翼文学に親しんだ知識人でありながら戦時中の帝国日本の政治的プロパガンダに協力する――こういった彼女の生き方を、著者は単に一方的に表象されるだけでなく、自らも戦略的な自己表象を通じて当時の日本文化の中に確固たる居場所を勝ち得たプロセスとして描き出す。崔承喜は帝国と植民地、芸術と商業、民族的伝統とモダニズム的革新のすべてが交差する複雑な場に生きた。本書はその複雑さを丁寧に解きほぐしている。
 最後に強調しておきたいのは、このような探求を支えているのが、あくまでも実証的で地道な調査であるということだ。文献調査の成果は、巻頭に掲載されたカラー口絵64点(そのほかに本文中に数えきれないほどのモノクロ写真が収められている)に加えて、巻末に収録された全部でほとんど100ページにものぼる文献目録、各種資料、そして現時点で判明していることすべてを整理して記述した詳細な年譜がはっきり示している通り、圧倒的である。本書執筆が著者にとって、過去の歴史の中に埋もれかけていた崔承喜のイメージを生き生きと蘇らせていく、発見に次ぐ発見の喜びに支えられたものであったことがうかがえる。

沼野 充義(名古屋外国語大学副学長)評



〔芸術・文学部門〕

中嶋 泉(大阪大学大学院文学研究科准教授)
『アンチ・アクション ―― 日本戦後絵画と女性画家』(ブリュッケ)

 本書のはらむ射程は大きい。一見すると、フェミニズム美術史によくあるように、これまで男性画家を中心に語られてきた絵画史における女性画家の活動を復権させる試みを、日本戦後絵画を舞台に展開したものと受け取られるかもしれない。むろん、そういう部分もないではないが、しかし真に注目すべきは、本書がそこに留まることなく、女性画家も視野に入れて戦後日本の前衛絵画史を書き換え、新たな歴史を構築することを目指す野心的な研究であるという点にほかならない。
 1950年代から60年代にかけての戦後抽象絵画には女性画家の活動を含めた多様で混沌たる状況があった。ところが、「アンフォルメル旋風」を通じて経験した、西洋の東洋(日本)蔑視やオリエンタリズムによる挫折の代償として、男性の画家、批評家たちが「アクション・ペインティング」に男性性を重ね合わせる(再ジェンダー化する)方向に突き進んだために、女性画家が持っていた「アンチ・アクション」的な作画活動が歴史に埋もれ、評価を逸してしまったというのが、筆者が提示する新たな見取り図である。「戦前の父と戦後の娘」、すなわち年上の男性指導者と若手女性画家との補完的な関係なども冷静に指摘しながら、本書はこの時期の美術状況を少なくとも相対化することに成功している。フェミニズムとオリエンタリズムの視点が交差することによって、説得力のある歴史分析がもたらされたのである。
 3人の戦後女性前衛画家の再評価を企てる後半の各論で、現代美術界の世界的スターとなった草間彌生と、「具体美術協会」との関わりですでに認知された田中敦子が扱われるのは、あくまでも1950~60年代における彼女たちの初期活動の再解釈のためである。国際的認知の獲得を目指す芸術家の生き様と戦略を示す草間の「ネット・ペインティング」、戦後の大衆文化と消費社会の現実を知覚的な刺激として取り込む田中の「円と線の絵画」、作家論と作品論が融合した各々の叙述は興味深く読める。「実験工房」に加わった福島秀子については、その後「消えてしまった」女性画家の掘り起こしの試みであるが、「捺す」絵画と人間のイメージという視点にもかかわらず、論述が今ひとつ切れ味に欠け、位置づけと評価に苦慮している観がある。ともあれ、他の知られざる女性画家たちの仕事も今後復活させていただきたい。
 本書の成果については、特に戦後美術史に関するいくつかの「正史」が批判的読解にさらされたことへの批評家、研究者の反応、反論を知りたいし、今後、真に生産的な議論が起こることを願っている。そして、本書を起点に筆者が日本戦後絵画史に新たな筋道をつけようとするならば、日本画も含めた女性画家たちの総体をどのように捉え直すのかも課題となろう。人名の不注意な表記ミスがあるのは気になるが、論理を通す骨太の文章力、緻密な作品分析は称賛に値する。日本戦後絵画の盲点を浮上させた筆者の次なる問題提起に期待しよう。

三浦 篤(東京大学教授)評



〔社会・風俗部門〕

伊藤 亜紗(東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター准教授)
『記憶する体』(春秋社)を中心として

 伊藤氏のユニークさは、東大院で美学・芸術を専攻して博士号を取り、専門は美学、現代アートとしながら、「身体論の専門家」を自称し、どもりとか身障者に関するものや、盲人の世界観やアスリートの身体論等を著していることだ。またヴァレリーの芸術哲学とか、近著ではバフチンのラブレー論における「カーニバル的」中世社会論にも言及しているが、それらも身体論からアプローチしている。本賞は、『記憶する体』をはじめとする彼女の一連の著書(『どもる体』『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』等)に対して与えられる。
 『記憶する体』を読んで最も強く感じることは、義肢とか幻肢など障害者の身体論をテーマとしながらも、単なる医学的、身体的な視点ではなく、生の意味やアイデンティティが関心の的になっていることだ。その象徴が、何人かの吃音障害者に、ある薬で吃音が全快する場合、薬を飲むかと尋ねると、全員がNoと答えたとの報告だ。障害者にとって、それとの格闘こそが、生きる意味と不可分なのである。伊藤氏の自信を示しているのが、「本書がいつか考古学的資料として、賢者たちの知恵の書として読まれたい」との言葉だ。著者のどの本にも滲んでいるのは、それぞれの問題について、徹底的に考え抜いたという自信である。それが、どの著書を読んでも読み易い理由だろう。自信のない者ほど、持って回った難解な表現をしたがるものだ。
 ヴァレリー論も『フランス百科事典』に彼が書いた長文の身体論を考察している。評者が関心を抱いたのは、「シュルレアリスム宣言」のアンドレ・ブルトンとヴァレリーの両者が、「詩と散文」の本質的な違いや「イメージからの解放」に関しては共通の問題意識を有しながら、その解決に関しては「決して同志にはならなかった」との指摘だ。
 さらに著者の慧眼と言えるのは、20世紀前半の芸術家は、自ら信じる高い価値を目指す「垂直型」(解る人が解ればよい)だったが、今日では民主的な「水平性」(皆に解る)が重視されている。しかし、「水平性の過剰な尊重が垂直方向への私たちの可能性を抑圧するものであれば、私たちの生命力を奪う憂慮すべきもの」と指摘していることだ。わが国の美学研究者や芸術家自身でさえも、このようにストレートに言える者は、そう多くはない。欲を言えば、この問題に正面からもっと深く切り込んで欲しかった。ここに、今日の芸術の本質的問題点があるからだ。
 評者が疑問を抱いたのは、伊藤氏は美学・芸術の研究者でありながら、なぜすべての著書が身体論とか障害者論、あるいは身障者のアスリート論なのか、ということだった。その理由が分かったのは、著書自身が、『どもる体』のあとがきで、「後出しジャンケンみたいだが、私自身にも吃音がある」と述べていること、また『目の見えないアスリートの身体論』の中で、「私自身、陸上部出身」と書いていたからだ。
 つまり、研究者として理論的に考察しただけではなく、自らの身体的体験が全ての考察の基礎になっており、それが説得力の源となっているのである。また、著者が理系から文系への「文転」者であることも、明快な理論的分析・考察の背景であろう。
 分野を超えた彼女の発言や行動は、今後の各方面に刺激を与えると期待している。

袴田 茂樹(青山学院大学名誉教授、新潟県立大学名誉教授)評



〔社会・風俗部門〕

志村 真幸(南方熊楠顕彰会理事、慶應義塾大学非常勤講師)
『南方熊楠のロンドン ―― 国際学術雑誌と近代科学の進歩』(慶應義塾大学出版会)

 南方熊楠は英雄伝説に包まれていた。曰く、キューバで独立戦争に参加して胸に銃弾を受けた・・・ロンドンの中国公使館に拉致された孫文を救い出した・・・日本人でありながら、請われて大英博物館の館員になった云々。こうした伝説の類には、熊楠自身が広めたものもあるというから、始末が悪い。
 南方熊楠は、英国の雑誌「ネイチャー」に51篇、「ノーツ・アンド・クエリーズ」に324篇の論文を投稿しているのだが、本書は、ヴィクトリア朝のロンドンという、場所と状況の中で書いた熊楠の英語論文の解読である。それまでのように、いわば外部から、だけではなく、内部からも熊楠に迫った研究といえばよいか。その結果未だかつてなかったような、等身大の熊楠像を描くことに成功していると思われる。何よりも、わかりやすく、ふっと腑に落ちる気がする箇所が多い。
 この時代、学問は、アマチュアによって支えられてきた。アマチュアとは何かといえば、その学問で飯を食っていない、好きでやっている人々のことである。
 昆虫学にしても、蝶、甲虫の分類、生態解明は、アマチュアの協力なくしては、不可能であった。ミドリシジミの生活史は、今では日本産の全種について解明されているけれど、もしあの美しい蝶の成虫を愛するアマチュアがいなければ、カシの仲間の木の梢にいる平べったい小さな虫が、あのミドリシジミの幼虫であろうとは、いまだに知られないままであったかもしれない。
 熊楠の論文は、もちろん英語で書かれたわけで、彼自身、柳田國男に宛てた書簡で、「小生は主として頭から洋語洋想で洋人と議論することを力(つと)めたるなり」と書いている。慶應3年生まれの熊楠の世代というのは、日本の史上、インテリが和漢洋にわたって、読み、かつ書く力を高度に有していた、むしろ特異な世代である。しかも、「洋人に勝つ」ということに、非常な価値を置いていた。
 熊楠は、『酉陽雑俎』『世説新語』など、中国の随筆、怪異譚のみならず、古代ローマのアプレイウス『黄金のロバ』やプリニウス『博物誌』まで縦横に引用している。英国の学者らも彼を頼りにするようになっていった。
 その点で熊楠伝説に込められた期待は、たとえば「吉備大臣入唐絵巻」にあるように、漢文の本場たる唐の地で、本国の学者らが次々に出してくる難解な文章をスラスラと解読する、“代表選手”吉備真備の姿とあまり変わりがない。熊楠伝説に人々が拍手を送った所以である。
 熊楠も、「自分が初めて洋人の地で植物の新種を発見した」ことなどを強調しているが、植物学の業績が、主として新種発見にあった時代、フローラについてほとんど調べ尽くされた観のある英国に渡った熊楠が、植物学から離れたように見えるのはその困難さを悟ったゆえであろう、と著者はいう。
 「ノーツ・アンド・クエリーズ」の英語論文は、2014年に邦訳が出され、読みやすくなったのだが、著者はその解読作業の大半に加わり、全体の半分弱の翻訳を担当したそうである。それだけでも立派な業績だと思うが、本書はその優れた解説としても長く残るものとなるであろう。

奥本 大三郎(埼玉大学名誉教授)評



〔思想・歴史部門〕

梅澤 礼(富山大学人文学部准教授)
『囚人と狂気 ―― 一九世紀フランスの監獄・文学・社会』(法政大学出版局)

 受賞作の「あとがき」によれば、著者は八歳のとき、商業施設の抽選で特賞のヨーロッパ旅行を引き当てた。代わりに親が行くわけにも行かず、母親が自腹で同行することになったという。各地で楽しい思いをしたが、ブランド店の日本人店員が冷たく、大人たちも疲れて見えたのがフランスであった。にもかかわらず、フランスに最も心ひかれたと著者は書く。なぜなら少女を「まるで自立した一個人であるかのように、敬意を持って、対等に扱ってくれたから」だ、と。著者とフランスの関係を暗示する印象的な逸話である。
 本書は19世紀フランスにおける監獄をめぐる研究である。当然、フーコーの『監獄の誕生』を想起するわけだが、彼の時代に比べ、歴史的資料ははるかに充実している。受賞者は特に、監獄改革をめぐる政治的・社会的言説を渉猟すると同時に、文学作品の分析によって、囚人や監獄の様子が同時代人の眼にいかに表象されたのかを探る。
 思えば19世紀初頭、監獄は多くの改革的な知識人にとって特権的なトポスであった。監獄は人を罰するだけでなく、矯正する場である。教育の欠如こそが犯罪の原因である以上、博愛精神をもって理想的な監獄を実現することで、囚人をより良い存在へと改良できる。ベンサムのパノプティコンの構想が有名だが、昼夜を問わず独房制のペンシルヴェニアシステムなどが、このような時代精神の下で活発に議論された。また、監獄の先進的実験国としてアメリカへの視察も行われた。
 意外なことに、ここで登場するのが、『アメリカのデモクラシー』の著者トックヴィル(トクヴィル)である。彼はアメリカのデモクラシーだけでなく、その監獄を現実に見た人間として、フランスの監獄改革の議論においても指導的な地位を占めた。しかしながら、本書で描かれるトックヴィルは、決して自由と民主主義の理論家ではない。むしろ、危険な犯罪者から社会を防衛するための施設として、監獄改革を推進する秩序派のイデオローグとしての一面が浮かび上がる。
 転機になったのが、1831年にフランスで広がったコレラだというのが興味深い。この時期以降、博愛精神は吹き飛び、むしろ先天的に罪を犯す傾向を持つ人々が、「道徳的な病」に感染するという見方が力を増していった。それをさらに、統計学や骨相学、奇形学といった、「科学的」な言説が正当化した。犯罪は伝染病として捉えられ、囚人たちを隔離して、社会を守らなければならないという思考が支配的になったのである。完全な独房制が囚人の精神状況に悪影響を与えるという報告があったのに、それは無視された。
 後半の文学篇では、ユゴーやバルザック、あるいは『パリの秘密』の著者シューが取り上げられる。本書の前半に見られた監獄をめぐる眼差しの変化が、文学作品においても同様に浮かび上がるのが、本書の読みどころとなる。受賞者が切り開いたのは、政治的・社会的言説と文学作品を同時に射程に入れ、時代とその精神の変化を明らかにする手法である。本書でも触れられているルイ・シュヴァリエの『労働階級と危険な階級』にも比すべき、新たな可能性を受賞者がさらに発展させていくことに期待したい。

宇野 重規(東京大学教授)評



〔思想・歴史部門〕

小山 俊樹(帝京大学文学部教授)
『五・一五事件 ―― 海軍青年将校たちの「昭和維新」』(中央公論新社)

 昭和史に関心をもつ人で五・一五事件を知らない人はいない。犬養毅首相が首相官邸で殺害され、軍国主義へと日本が突き進む転機となった大テロ事件であることは常識に属する。さらにまた、この事件を引き起こした海軍将校たちへの刑が軽かったこともよく知られており、これが後の軍部の横暴につながったという説明もよく聞くところである。
 しかし、この事件の全貌についてまとまった著作はそれほど多くない。松本清張の『昭和史発掘』に収められている『週刊文春』連載記事(1966年)や保阪正康『五・一五事件』(1974年)くらいであろうか。本書はその意味で画期的である。なぜなら、本書によってようやくこの事件がまとまった形で歴史分析の対象となったと評価されるからである。
 著者自身がいうように、この事件には謎が多い。第1に、海軍将校たちはなぜこの事件をおこし犬養首相を殺害したのか。第2になぜこの事件後政党内閣が続かなかったのか。そして第3になぜ国民の多くが青年将校に同情し減刑嘆願運動がおき、そして刑が寛大なものとなったのか。本書は、この3つの疑問に答えるために、事件の背景を確認し、実際に何が起きたのかを徹底的に解明しようと試みる。
 著者は現存する膨大な史料の山に分け入り、5月15日に起きた出来事を詳細に跡づける。その結果が、第1章における小説であるかのようなナラティブである。記述の背後にはすべて典拠があるというが、いうまでもなく当事者たちの記憶による史料も多いから本当かどうかはわからない部分が残るし、このことは著者も認めている。しかしながら、新たな史料が発掘されない限りは、当面この第1章がこの事件を臨場感をもって語る唯一の記述ということになるのであろう。
 5月15日の出来事の叙述に加えて、本書の功績は、著者自らが掲げた3つの疑問に正面から回答を与えようとしたところにある。第1に関して、著者は、藤井斉をはじめとする海軍将校たちのそれまでの経歴や北一輝、大川周明、西田税、井上日召らとの関係を描くことによって、彼らのテロが犬養首相個人への怨恨などではなく「国家改造」の起爆剤となることであったことを主張する。第2に関して、著者は天皇が元老西園寺に伝えた「希望」に著者なりの解釈をすることによって、天皇の「政党政治」への不信が西園寺をして政友会総裁の鈴木喜三郎を次期首相に推戴することを断念させたのだと主張する。そして、第3の疑問については、減刑された最大の理由は減刑嘆願運動だったのではなく海軍内部の対立回避の動きであったと主張している。
 こうして著者は五・一五事件に関する事実確認と五・一五事件に関する1つの有力な説明をまとまった形で提示したのである。著者の3つの疑問に対する説明に対して異論をとなえる研究者も存在するであろう。著者がいうように、ほぼすべての関係者が鬼籍にはいり五・一五事件がようやく「歴史」になったとすれば、本書は、歴史解釈の今後の論争を開始させるかもしれないことも含めて、五・一五事件の歴史の嚆矢となるのであろう。

田中 明彦(政策研究大学院大学学長)評


以上

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