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研究助成

成果報告

研究助成「地域文化活動の継承と発展を考える」

2014年度

地域を奪われた伝統芸能の継承に向けた方策の研究とその実践

いわき地域学会 代表幹事
吉田 隆治

Ⅰ 研究の背後にあるものと研究の目的・内容
 今回、研究の対象としたのは、福島県双葉郡大熊町に伝承されている熊川稚児鹿(しし)舞(風流系、舞い手は小学生4人、大熊町指定無形民俗文化財)である。
 2011年3月に発生した東日本大震災、そして、その後に起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故により、いわき市などを含む福島県浜通り地区は地震、津波、放射能汚染により、複合的で、重大な被害を受けた。
 この災害は住民生活に大きな影響をもたらし、また、各地域で古くから受け継がれてきた伝統文化にも大きな影響を与えた。
 福島県双葉郡大熊町の熊川地区では、江戸時代から、熊川稚児鹿舞が伝承されてきた。稚児鹿舞を伝承している熊川諏訪神社の氏子(熊川稚児鹿舞保存会)は60戸で、神社の社殿や氏子の住家の半数は津波で流失した。また、放射能汚染の影響で大熊町は全域全町民が避難を余儀なくされ、大熊町民は福島県いわき市や会津若松市などをはじめ、福島県の内外で避難生活を送っている。
 稚児鹿舞で用いる獅子頭や太鼓、道具、衣装なども津波で失われたが、文化庁や福島県、大熊町などの補助を受け、復元が図られた。また、稚児鹿舞そのものの伝承活動も、東日本大震災から2年後の2013年には、復活を目指し、練習が開始された。
 本事業では、ふるさとを失った伝統芸能の復活、継承への道筋を探るとともに、稚児鹿舞そのものの記録保存、さらには氏子や住民、関係者などによる稚児鹿舞の復活や継承に向けた取り組みなどを記録した。


Ⅱ 研究の成果  ―― 熊川稚児鹿舞の復活に向けた動き
 ア 熊川稚児鹿舞の復活を目指す
 東日本大震災から1年5か月が経過した2012年8月18日、熊川稚児鹿舞保存会の会議が開催された。会議では震災後の経過などが報告され、今後の稚児鹿舞の復活、継承についての話し合いも行われ、復活に向け、活動を再開させることが決まった。
 だが、子どもたちによる鹿舞を復活させるためには、鹿役の子どもたちを選び、練習を重ね、鹿舞を習得させる必要がある。しかし、保存会の会員や鹿役の子どもたちが福島県の内外で離れ離れの避難生活を送っている現状では、継続的に練習を開催することは極めて難しい。


 イ 鹿舞の練習を再開
 2013年2月9日、会津若松市一箕町の長原応急仮設住宅の集会所で震災後、初の練習が行われた。しかし、この日の練習は子どもたちを対象にしたものではなく、かつて鹿役を務めたことのある大人たちによる練習であった。また、この日には新たに鹿役を務める4人の子どもたちの人選も行われ、4月から練習を行うことが決められた。
 4月13日、長原応急仮設住宅の集会所で、4人の新しい鹿役の子どもたちを対象とした初めての練習が行われた。この後、練習は5月18日、6月15、16日、7月6、7日、7月29、30日、8月17日、9月21、22日、10月13、14日、11月16、17日、12月7、8日に長原応急仮設住宅の集会所で行われ、子どもたちは少しずつ鹿舞を覚えていった。
 2014年3月29、30日には、いわき市好間町の大熊町役場いわき出張所で練習が行われた。その後も、いわき市や会津若松市で、4月26、27日、5月24、25日、6月21日、7月5、6日に練習が行われた。


 ウ 4年ぶりの復活
 2014年7月20日、会津若松市の長原応急仮設住宅で「おおくま・甲和会合同夏まつりin長原」が開催され、この時、熊川稚児鹿舞は東日本大震災を乗り越え、4年ぶりの復活を遂げた。
 その後、9月28日には双葉郡川内村で開催された「ふたばワールド2014㏌かわうち 一緒に創ろう…ふたばの明日!」で、10月4日には会津若松市の松長近隣公園応急仮設住宅で開催された「大熊町ふるさとまつりin会津」で、そして、10月5日には福島市の四季の里で開催された「ふるさとの祭り2014」で、稚児鹿舞が披露された。
 さらに10月11日には、いわき市で「第5回伝統芸能フォーラムinいわき 菅波のじゃんがらと熊川稚児鹿舞 いわき市と大熊町 地域の伝統芸能を未来に伝える」が開催され、12節の歌全てが歌われる省略のないかたちの稚児鹿舞の披露が行われた。また、11月3日には会津若松市で開催された大熊町の町制施行60周年記念式典で、11月8日にはいわき市の大熊町いわき出張所で開催された「大熊町ふるさとまつりinいわき」で稚児鹿舞が披露された。
 
 エ 今後の継続に向けて
 東日本大震災、東京電力福島第一原子力発電所の事故からの復活を果たした熊川稚児鹿舞だが、今後、伝承を継続させていくためには、難しいいくつもの課題を乗り越えていかなければならない。
 保存会の会員たちはなおも離れ離れの避難生活を強いられており、現時点においては、会員たちのふるさとであり、また、稚児鹿舞の発祥、伝承の地である熊川に戻れる時期はわからない。また、今後、稚児鹿舞の獅子役を担う子どもたちは、ふるさと熊川の風景を直接、見たこともなく、熊川の地に足を踏み入れたこともない世代になる。さらに、今後、保存会の指導者たちの高齢化が進むことも考えられる。
 このような状況は、将来的にも継続し、また、ますます進行することも推測される。つまり、「継続させていくことは、復活させることと同じくらい難しい」のである。
 そのような状況のなかで、地域の伝統芸能を存続させていくためには、稚児鹿舞の直接的な担い手である人たちの努力は勿論のこと、それをまわりから支え、見守る人たちの活動というものも必要になる。



2015年8月


サントリー文化財団