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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2013年度

第二次大戦後の対日講和問題をめぐるソ連の外交戦略。特に北方領土・琉球の帰属問題に対するソ連の認識と戦略。

法政大学沖縄文化研究所 国内研究員
机 文明

1.研究の進捗状況
 私は2010年10月にロシアから帰国して以来、「対日講和とソ連─連合国の戦後対日政策の中でのソ連外交:1947-1953」を仮のタイトルとして設定し、博士論文の作成を続けて来た。この論文の構成は大まかに3つの章からなり、第1章においてはまず1947年に初めて米国が対日講和政策を提唱した際の、それに対するソ連の戦略について分析することを決定した。次いでこの時対日講和政策が頓挫し、やがて49年1月にジョージ・アチソンが国務長官に就任して以降、ソ連の参加の有無に関わらず対日講和条約を早急に締結するということを、米国が明確に志向していく一方で、ソ連が毛沢東の共産党政府との同盟関係形成を志向して行く中で、対日問題をめぐる戦略をいかに位置づけていたのかについての分析を行うこととした。そして第2章においては50年に入り中ソ友好同盟相互援助条約の締結そして朝鮮戦争の勃発というアジアをめぐる政治状況の変化の中で、対日講和をめぐるソ連の戦略がいかに変化したのか、また米国による「対日講和7原則」の発表に対してソ連がいかなる姿勢で対峙したのかについて分析することとした。そして第3章においては51年に入り、米英主導によるサンフランシスコ講和会議の招集と対日講和条約の締結に対するソ連の戦略を具体的に分析するとともに、講和条約締結以後、名実ともに米国の同盟国となった日本に対して、最晩年を迎えつつあったヨシフ・スターリンがいかなる戦略を展開することを志向していたかという点を分析対象とした。
 2015年5月現在第2章及び第3章のサンフランシスコ講和会議終了まで、すでに作成を終えている。今後は第3章の最後の節、すなわち講和条約締結後の日本に対するスターリンの戦略について詳細に分析した結果を論文にまとめ、しかる後に第1章の1947年から49年までのソ連の対日戦略について作成する予定であるが、この論文の中核となるのはやはり東アジアにおける大きな政治変動が生じた1950年について扱う第2章、及びサンフランシスコ講和会議をめぐるソ連の戦略について扱う第3章前段であり、ゆえにこの部分がひとまず完成し、学会発表にまで至ったことが、自分の研究におけるひとまずこの1・2年の成果である。


2.研究の成果
 先述した通り、自分の博士論文においてその中核となる1950年と51年前半までを一通り書き終えたことは、ひとまずの成果と言ってよいが、特に1950年11月、中国軍の参戦によって朝鮮戦争の戦況が国連軍側の劣勢に転じた後、この戦争における中国軍の攻勢が進むのと歩調を合わせる形で展開された、国連安保理における台湾問題をめぐる中ソ両国による米国への批判攻勢が、結果として中国問題をめぐる米英両国の軋轢を改めて浮き彫りにするとともに、米国内部の国務省と国防省との間の対日講和問題をめぐる軋轢を再燃させ、これらのことが米国の対日講和政策の進捗を頓挫寸前にまで追い込んだという点を浮き彫りにできたことは大きな成果であり、今年夏に千葉県の幕張で開催される国際学会での発表においても、この点の詳細な解説に重きを置く予定である。


3.今後の課題
 今後の予定に関しては、まず今年夏の幕張における国際学会での発表を何とか成功させることが、現在の課題である。現在そのための発表原稿を完成させ、さらに討論者及び司会者に配布する英語のフルペーパーを作成している最中である。発表原稿、報告フルペーパー合わせて30枚ほどであるが、両者に関してプロの翻訳者及びネイティブによるチェックを受ける予定である。またここ1・2年のうちに博士論文は完成の運びとなることを想定しているが、その際にはロシア・東欧学会の学会誌への投稿、及び日本国際政治学会での発表を視野に入れている。博士課程を満期退学してすでに3年以上が経過しているため論文博士での学位取得となる。また博士論文が完成し、学位取得の目途がついた後には、将来的な博士論文の出版を視野に入れて博士論文の加筆修正と新たな研究分野開拓のためを兼ねて、再びモスクワの公文書館における新規史料開拓を行いたいと考えている。今年夏の国際学会での発表が成功すれば、研究者として大きな飛躍となるので、今はそれに向けて全力投球していきたい。


2015年5月

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