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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2013年度

突厥碑文の歴史叙述にみる政治的意図

大阪大学文学研究科 特任研究員
齊藤 茂雄

●研究の動機・意義
 トルコ系遊牧民の突厥は、突厥第一可汗国(552〜630)が唐によって滅ぼされて以来、唐の羈縻支配に服していたが、王族のクトゥルグがエルテリッシュ可汗に即位し、突厥第二可汗国(682〜744)を内モンゴルの陰山山脈で建国した。エルテリッシュは外モンゴルのオルホン平原や、西方の天山山脈まで支配下に入れ強国突厥を復活させた。そして、クトゥルグの子で第3代可汗のビルゲ可汗の治世中(716〜734)には、突厥文字を用いて古代トルコ語を記録した突厥碑文が建造された。
 突厥碑文のうち、国王であるビルゲ可汗とその弟のキョルテギンの碑文は、両者が生前に成し遂げた功績を年を追って記述した追悼紀功碑文である。しかし、その記述は両碑文のテキストのおよそ半分ほどが同一のものである。その内容は、突厥第一可汗国期から唐の羈縻支配時代、エルテリッシュの国作りなど、国の重要な歴史事件を追いつつ被顕彰者の功績をしており、突厥可汗国の「歴史書」としての性格を合わせ持っている。「歴史書」として突厥碑文を見ることで、碑文中の歴史叙述を作成した突厥第二可汗国為政者がいかなる歴史を作り上げたかったのか、あるいは作らざるを得なかったのか、というビルゲ可汗政権の内情を考慮しつつ、碑文の史料批判を行うことができる。にもかかわらず、突厥碑文研究はこの問題をほとんど検討してこなかったのは痛恨の極みといえよう。というのも、突厥碑文は、19世紀末に現地で採取された拓本に基づいて突厥文字が解読されてから、欧州や日本において「トルコ学」の範疇で研究が進み、テキストの読解と訳注に心血が注がれてきたからであり、その背景にある史料の性格付けまで議論が進んでいないのである。
 報告者は拙稿[「突厥第二可汗国の内部対立——古チベット語文書(P.t.1283)にみえるブグチョル(’Bug-čhor)を手がかりに——」『史学雑誌』122-9、2013、36-62頁]において、突厥碑文が作られたビルゲ可汗とその子・登利可汗の時代には、突厥第二可汗国国内で深刻な内部対立が起きていたことを明らかにした。この内部対立により突厥国内は分裂の危機に直面したのであり、政権中枢の為政者たちは自らの正統性を示しつつ、国内の統制を執る必要に迫られたと考えられる。それゆえ、キョルテギン・ビルゲ可汗両碑文を叙述するに当たっても、歴史叙述には作成者の政治的意図が反映されたはずである。報告者はその意図を汲み取り、両碑文のテキスト作成にいかなる政治的意図が介在しているのか明らかにするために研究を開始した。その研究を行うことにより、突厥碑文テキストのより正確な読解が可能になり、さらには碑文作成者たちを取り巻く国内的・国際的政治的状況がより鮮明になると考えている。本研究は、碑文作成者の立場に立って突厥碑文を見直す試みなのである。


●研究の目的
 とはいえ、突厥碑文の読解には根本的な問題がある。それは、これまで様々な国で公刊されてきた録文テキストに、文字の読み間違え、場合によっては恣意的な読み替えが散見されるということである。この問題を解消するためには碑文から直接採った拓本を利用してテキストの正確性を検証する必要があるが、現在公刊されている拓本写真[W. Radloff, (1892-1899) Атлас древностей Монголіи. Труды oрхонской экспедиџіи / Atlas der Alterthümer der Mongolei. Arbeiten der Orchon-Expedition, 1. Lieferung 1892. Санкт-Петербург (St. Petersburg): Типографія Императорской академіи наукъ]は高さ約3mの碑文拓本をA3版に縮小して印刷しているため、文字の判読が困難な場合が多い。そこで、公刊された写真のもととなった拓本を実見し、テキストの検証を行い、正確なテキストを作成してから史料の性格付けを行う必要がある。


●研究成果
 今回、報告者は助成金の一部を利用して2015年2月1日〜8日まで、ロシアのサンクトペテルブルクにある東方文献研究所を訪問して、キョルテギン・ビルゲカガン両碑文の拓本を実見調査し、所蔵されている全ての拓本の計測と、これまで公刊された拓本のどれに当たるかの確認をまず行った。そのうえで、両碑文のテキスト確認作業を行った。
 ところで、報告者は2014年12月に、2013年に採拓されたばかりである大阪大学所蔵のビルゲ可汗碑文拓本を実見してテキストの確認作業を行い、碑文の風化を痛感していた。一方、大阪大学所蔵拓本と比べて約100年前に採拓されたサンクトペテルブルク拓本は、前者と比べて文字の破損や風化が少なく、利用価値の高いものであることが改めて確認された。この実見調査によって得られた知見により、現在新たな研究論文を用意している最中である。なお、今回の研究助成により、以下の論文を発表することができた。


齊藤 茂雄 2014:「突厥とソグド人──漢文石刻史料を用いて──」森部豊編、『ソグド人と東ユーラシアの文化交渉(アジア遊学175)』東京、勉誠出版、217-233頁
齊藤 茂雄 2015:「突厥有力者と李世民──唐太宗期の突厥羈縻支配について──」、『関西大学東西学術研究所紀要』48、77-99頁


2015年5月

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