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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2012年度

18世紀後半ウィーンにおける劇場活動の社会経済史的分析

早稲田大学大学院経済学研究科 博士後期課程
大塩 量平

 中世ヨーロッパの特権層の排他的なパトロネージの下で育まれたオペラ、演劇、バレエ、演奏会といった舞台芸術を上演する劇場活動は、近代以降に活動の場を急速に広げ、今や世界的に拡大・浸透した。その第一の要因は何より芸術面の努力にあったのは言うまでもない。だが社会経済状態や劇場経営の変化といった経済的要素も少なからぬ影響を与えたのではないだろうか。概して西洋の芸術は18世紀前後に特権層の需要ないしその庇護への依存から脱し、次第に不特定多数の聴衆に対して活動するようになった。その過程で芸術活動は自由を得る一方、自立した経済的主体として活動する必要に迫られたが、その容易ならざる努力も西洋の舞台芸術の世界的拡大の一つの要因であったのではないか。特に劇場活動は大規模な営みであるため確固とした組織が必要であり、そのため経済的パフォーマンスが多少なりとも重視され、また観客の動員や、上演に必要な人材・資材確保を通して社会経済の影響を強く受けてきたことであろう。しかしこれらに関する従来の研究は概して断片的であり、特に経済的観点からの体系的理解は極めて不十分である。本研究は劇場活動の中心地の一つであるウィーンを対象に経済史研究の立場から実証的分析を行い、ウィーンの舞台芸術が拡大した歴史的経緯と要因を多角的に検討するものである。

 ウィーンの劇場活動は18世紀半ばの女帝マリア・テレジアの劇場改革によって、不特定多数の聴衆に依存する新しい在り方への変化が始まり、それは彼女の息子、皇帝ヨーゼフ2世の劇場改革で決定的となった。まさにこの時に常設劇場での舞台芸術に対する宮廷の独占が廃され、民間劇場の参入が始まったことで競合が生じ、現代まで続くウィーンの舞台芸術の隆盛の基礎が形づくられたのである。そしてその変化を先導したのが宮廷劇場である。本研究はこの極めてダイナミックな時期の宮廷劇場を対象に次の二点を考察した。

 まず、伝統的な宮廷劇場の観客である高位貴族がヨーゼフ2世の改革によってどのように観劇の在り方を変えていったのかを検討した。会計報告書の分析から、高位貴族の入場、特に個室の予約がこの時期にかつてなく活性化したことが明らかになっている。そこで予約者の構成や予約時期の比較検討、そしていくつかの貴族の個人文書の分析を行った結果、当時はもはや宮廷儀式としての上演が行われていた時代とは異なり、義務的な入場の必要はなく、貴族も一聴衆として比較的自由な入場が可能になりつつあり、様々な動機(威信顕示、メセナ、芸術鑑賞、気晴らし、社交など)が複合的に作用したことで彼らの入場が増加したことが明らかとなった。その背景には上演の増加や内容の多様化、宮廷劇場の社交の場としての重要性の増大、貴族のウィーン滞在期間の増加や高額の予約料を用意する様々な試みなどがある。(これらに関しては2014年6月の西洋史学会で報告し、その後論文を投稿予定。)なお高位貴族の観劇行動が次第に上層市民に広がり、19世紀以降の舞台芸術の一端を支える存在になった可能性が考えられる。それについては今後も考察を深めたい。

 もう一つは当時の劇場活動の経済構造の解明である。上演内容や入場者、その他劇場を取りまく様々な動きは断片的ながら明らかにはなる。しかしそれらを一本の糸で結び、「劇場活動」という一つの大きな(経済史的)流れとして客観的に理解する枠組みが存在しない。そこで当時の宮廷劇場に焦点を絞り、その経済構造を検討した。全体としては劇場が人材・資材を用意し舞台を作り上げる「生産段階」と、聴衆が舞台を鑑賞する「最終消費段階」の大きく二つの局面があり、また両段階を取り結ぶ位置に劇場が存在するという構造を描くことができる。そして特に宮廷劇場は確固とした組織を有し、ヨーゼフ2世を頂点とする運営が行われ、特に人材獲得については当時欧州各地に劇場が設立され競争が激化したことを背景に、皇帝を含む劇場幹部を中心に戦略的に行われたことが明らかとなる。一方資材調達に関しては、全体的に衣装や種々の道具は大変華やかで装置も比較的大がかりだったため、かなりの支出がなされたが、当時のウィーンの商工業の隆盛によって様々な業者との多様な取引が可能であり、良質の素材が確実に入手され得たことが明らかとなる。

 当時の宮廷劇場では、皇帝の威信顕示が目的だった以前の在り方は既に過去のものとなり、収支状況に配慮しつつ観客を楽しませ、より良い上演を行うことが目指されていたことがヨーゼフ2世と劇場総監督の書簡等の分析からわかる。それは現代の芸術活動にも通じる考え方であろう。(人材・資材調達の概要は社会経済史学会で報告済。また経営の全容は2014年9月の経営史学会で報告予定。その後それぞれの学会に論文を投稿予定)

 本研究は劇場活動の経済的構造を明らかにすることでその社会における在り方を体系的に理解し、また社会経済とのつながりの重要性を明らかにするものである。しかし劇場活動の全てを経済合理性に当てはめ理解するのではない。利潤追求が大前提とされる一般の経済活動と異なり、芸術活動はあくまで芸術的成果をより重んじる傾向にあって、社会も多かれ少なかれそれを認め、比較的自由な活動を許容することでより良い芸術的成果が上がることを期待してきたと言えよう。とはいえ歴史的には芸術も社会経済の一要素として努力を重ね、それが芸術そのものにも影響してきたことも事実である。芸術の作品理解と共に、その経済的側面の歴史的理解もまた意義のあることであろう。歴史研究である本研究は、芸術活動の全てを経済的指標に置き換えることはせず、経済学的枠組みで捉えるのはあくまで活動の全体像にとどめ、詳細な営みに関してはそれぞれにふさわしい視点を柔軟に組み合わせつつ、今後も舞台芸術を豊かに捉え得る新たな視点と方法を追求してゆく。



2014年5月

サントリー文化財団