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研究助成

成果報告

2007年度

インド経済の発展とヒンドゥ社会のゆくえ
― タミル灌漑農村コミュニティの変容の力学

京都大学東南アジア研究所 教授
藤田 幸一

 本研究の目的は、インド・タミルナードゥ州のため池灌漑農村地域を対象として、ため池を中心に維持されてきた農村コミュニティ(カースト制度を軸に編成されたヒンドゥー社会)が、近年のため池とその機能の劣化(degradation)や都市化・工業化の進展による人口の流動化などに伴って、いかなる変容過程にあるのか、そしてそのような変容の生態環境論的および社会経済的意味を明らかにすることにある。今回の研究は、第一フェーズ(平成18年8月〜19年7月)を引き継いだ第二フェーズ(平成19年8月〜20年7月)であった。
 第二フェーズでは、大きく2つの課題を設定して、研究を続けた。
 第一に、グンダール川上流域というかなりの広域を対象として、地理情報システム(GIS)の手法を駆使しながら、1970年代初頭から最近に至るまでの長期にわたる主要変数の変化(降水量や降水パターンの変化、灌漑面積やその水源の変化、作付の変化、稲作収量の変化など)を地図上に視覚化し、それを通じて対象地域の農業・農村の長期的な変容過程を詳細に復元することである(主に佐藤孝宏、河野泰之、Jegadeesanによる)。
 第二に、グンダール川上流域の川上および川中地域から複数の村落を選定し、ため池の劣化に関連する社会経済変容をミクロ的に把握・分析することである。また、村落内で主要カースト別に組織されたインフォーマルな自治的農村組織を分析することによって、ヒンドゥー社会の基底にある構造とその変容を押さえることである(主に藤田幸一、Jegadeesan、佐藤慶子による)。

 今回の調査研究を通じて明らかになった主なポイントは、以下の通りである。
 1)グンダール川上流域を4つの行政区界(A,B,C,D区)で分割すると、年平均降水量は各々1019,977,808,750ミリとなり、下流になるほど乾燥度が大きくなる。灌漑水源は、A区で井戸灌漑が約90%を占めているが、その割合は下流に行くほど小さくなり、D区ではため池が80%近くを占めている。1980年代以降の最大の変化は換金作物導入であり、それは要水量を増加させる方向に働いてきた。A区やB区では井戸の掘削が進み、作物の多様化が進んだが、D区などでは依然として不安定なため池への依存度が高く、相変わらず自給用の水稲を中心とした作付体系が主流である。また1990年代以降には、乾燥度の大きい地域ほど、農地の農外転用が多い傾向が読み取れた。
 2)ため池の劣化のひとつの大きな要因は、伝統的にため池の水門管理などを担ってきた最下層カーストの人々(Neerkatti)が、そのような役割を担うことを嫌悪し、転職傾向を強めていることである。Neerkattiのいないため池では、適切な水配分が困難になり、ため池の灌漑区域(ayacut)でも耕作放棄などが増加している。
 3)ため池の劣化に伴い、若年層を中心に農外雇用を求めて村外へ流出する動きが盛んであるが、一方では、そのように農外雇用の恩恵に預かれない人々は、ヤギを中心とする家畜飼育に生計の糧を求める動きがある。
 4)村落は、大きくシングル・カースト村とマルチ・カースト村にわかれるが、一般にカースト集団ごとにインフォーマルな自治組織があり、村祭りの実施・運営や争いごとの調停などの重要な機能を担っている。注目すべきは、大きな自治組織になると、村内の農産物取引に対して独自の徴税権をもち、それを駆使して建物や農地などの財産ももっているということである。こうした自治組織は、ため池の劣化にもかかわらず、機能の大きな衰えは見られない。ヒンドゥー農村社会は、基本のところできちんと再生産されていると思われる。

2008年8月
(敬称略)

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