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研究助成

成果報告

2007年度

日本橋周辺の景観の変遷に関する史的研究
― 21世紀日本のよりよい都市景観の構築を目指して

法政大学デザイン工学部 教授
陣内 秀信

 本研究は、幕末から現在に至る日本橋川沿いの空間を対象に、河川とともに育まれてきた建築や橋梁、橋詰広場、石垣といった水辺の景観を形づくっている歴史的なストックについて、実測等の現状調査を通じて徹底的に掘り起こすとともに、現在に至るまでに破壊あるいは消失した景観や空間の復原を試みることで、水辺空間の変遷過程を明らかにするものである。それは、今後の景観形成において、歴史的なストックを活かした水辺の再生、すなわち異なる時代につくられた様々な水辺を彩る構築物が積層して成り立つ水辺空間の積極的な活用が、きわめて重要な役割を果たすという認識にもとづいている。
 本研究では、まず、現況を徹底的に調査することから着手した。調査にあたっては、Eボート(10人乗りのゴム製手漕ぎボート)を利用し、水上から現存する遺構(橋梁、石垣、建築物)の実測調査および写真撮影を行った。水辺の景観をとらえる機会が少ない今日において、Eボート調査は非常に有用な手段であった。並行して、陸上からも補足調査を行い、全長5キロほどの日本橋川の全域にわたって河川沿いの連続立面図を描いた。そして、この連続立面図を基礎に、現状のVR(ヴァーチャルリアリティ)も作成した。これらから、橋梁の多くは震災復興によってつくられたものが現存していることが確認された。同時に、現在では河川沿いの大部分はコンクリートの防潮堤で覆われているが、これらの防潮堤の背後には従来の石垣が埋没していることも確認された。また、河川沿いの建築物は、戦前に建てられたものはきわめて少ないが、一部に現存している昭和初期に建てられたものは、水辺を意識したデザインになっており、戦後に建てられた水辺に開口部をもたない建物とは一線を画している。
 こうした現状調査からの考察を進めると同時に、文献史料から日本橋川の変遷過程に関する考察も行った。一般的に、明治以降の近代化は、水路から陸路への転換が図られたととらえられがちであるが、市区改正や震災復興事業を通じて、鉄路をはじめとした陸路の整備と同様に、水路の整備も重視されていたことが明らかになった。そもそも現在の日本橋川が形づくられたのは、市区改正によって掘留となっていた江戸城の外濠が開削されて神田川と接続されたことによるし、震災復興事業では市区改正で計画されていながらも実現に至っていなかった日本橋川の流路の整備事業が実施されていくからである。こうした事業は、日本橋川の上流に設けられた甲武鉄道の飯田町駅が陸運と水運の接点となるターミナルとして位置づけられていたからであるといえる。当時の活発な河川の利用状況は、古写真に映し出された数多くの船舶や大正時代の船舶の交通量調査からもうかがい知ることができる。そして、倉庫兼店舗などとして利用されていた水辺の建築は、河川と密接にかかわりながら存在しており、結果的に水辺を意識した豊かな景観が形成されていたのである。
 上記を鑑みれば、日本橋川沿いの景観が水辺とのかかわりを失っていくのは、戦後であると考えられる。そのため、今後は、戦後の日本橋川沿いの水辺空間の変遷過程を明らかにすることが課題となる。具体的には、戦災の焦土処理、防潮堤の建設、首都高の建設、バブル経済期の乱開発といった事象が水辺空間に与えた影響を考察し、従前の豊かな水辺空間が破壊されていく背景を探っていく。あわせて、それぞれの画期ごとの水辺空間を図化し、最終的には三次元化することで水辺空間の変遷過程を視覚的に表現し、今後の水辺空間の再生へ向けた基礎的な資料を作成することも今後の重要な課題である。

2008年8月
(敬称略)

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