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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 2010年受賞

北河 大次郎(きたがわ だいじろう)

『近代都市パリの誕生 ―― 鉄道・メトロ時代の熱狂』

(河出書房新社)

1969年生まれ。
東京大学工学部土木工学科卒業。
Ecole Nationale des Ponts et Chaussees博士課程修了。博士号取得。
文化庁に入庁後、主に近代化遺産の調査、指定、登録に携わる。現在、ローマのイクロム(ICCROM、文化財保存修復研究国際センター)に派遣されプロジェクト・マネージャーを務める。
著書:『図説 日本の近代化遺産』(共編著、河出書房新社)など。

『近代都市パリの誕生 ―― 鉄道・メトロ時代の熱狂』

 西洋諸国の近代化過程の中で現在の都市のあり方がどのように形成されてきたかということは、これまでにもずいぶん論じられてきた。中でもパリの都市改造というテーマは「定番」のような感があったのだが、考えてみると、それらの大半はオスマンのパリ改造に関わるものであり、本書のようにパリの鉄道、とりわけメトロの成り立ちということに照準を合わせた研究は寡聞にして知らなかった。読んでみると実におもしろい。映画《ラストタンゴ・イン・パリ》で有名なビル=アケム橋など、パリのメトロには印象的な構造物がいろいろあり、かねてから関心をもっていたのだが、本書を読むと、それらの成り立ちが見事に解き明かされ、「なるほど」と膝を打つような場面に多々遭遇する。
 本書のすばらしさは、その「なるほど」感が、単なる謎解きにとどまらず、都市をめぐる根本的な問題につながってゆく奥深さを伴っているところにある。本書では、パリにおける鉄道建設構想をめぐる様々な陣営のおりなす力学の中で今日のメトロのあり方が形作られてくるプロセスが克明に論じられ、解き明かされてくる。国家的鉄道整備事業の一環として位置づけようとする国に対する、市民の足としてのネットワークを構想した市、景観を守りつつ鉄道網を堅実に整備してゆこうとする「地下メトロ」派技術者に対する、未来都市風のモダンな都市景観の創出を夢見た「高架メトロ」派技術者(たしかに「メトロ」が地下鉄でなければならないという必然的理由はない!)等々、様々なレベルで様々な議論や対立があり、鉄道建設に関わる問題と都市の景観や機能に関わる問題とが微妙に絡まり合う中で軌道修正が繰り返され、やがて現実のメトロの姿が表れてくる、そんな状況が克明に描かれる。例のビル=アケム橋も、最終的に主流ではなくなってしまった「高架メトロ」派の夢の残滓であると同時に、それが周囲の景観との調和の中におさまっていった、そんな存在と考えれば、あの独特なありようのよってきたる所以も理解できよう。
 本書が非常に説得的なのは、膨大な同時代文献を丹念に調査した、その裏付けの厚みがいたるところに感じられるからである(それもそのはず、博士論文がベースになっている)。様々な背景、様々なコンテクストが複雑に絡み合い、偶然的な作用まで加わった結果として物事が生起してくるプロセスを、いたずらにわかりやすいストーリーに還元するのではなく、その機微を丹念に焙り出そうとする著者の一貫した姿勢には共感をおぼえる。
 本書の題材は「芸術・文学」部門の範疇からは少し外れるのではないかと考えられる向きもあるかもしれないが、ここで扱われている都市の景観やデザインといった問題は、環境や社会との関わりの中でその射程を大きく広げている「芸術」の最もホットなトピックであることは間違いない。そして何よりも、鉄道と都市にとどまらず、サン=シモン主義やアール・ヌーヴォーといった、思想や芸術のコンテクストまで視野におさめ、それらの複合的な絡み合いの中で生起し、変容する現象として文化を捉えてゆく著者の姿勢は、芸術や文学の分野におけるこれからの研究が範とし、共有するにふさわしいものであると言って過言ではない。

渡辺 裕(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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