-
ドイツ、フランクフルトの南西、ライン川の河岸の町「ヴォルムス」。いまも美しい大聖堂や教会が立ち並ぶこの町が、マドンナのふるさとです。ローマ帝国の昔から、王国の都になったり王宮が置かれたり。中世の人たちが楽しみに聞いた英雄伝説「ニーベルンゲンの歌」の舞台でもあり、マルティン・ルターの宗教革命の発端にもなった町です。この町が有名なのは歴史の表舞台の出来事だけではありません。ぶどうの栽培、ワインづくりも盛ん。中でも「リープフラウエンキルヒ」という名の把母教会の修道僧がつくったワインは格別でした。
その奇路のような美味しさからでしょうか、いつしか「リープフラウミルヒ(聖母の乳)」と呼ばれるようになり、世界中に名を馳せ、この地方の高級ワインのタイプの名前になったのです。「マドンナ」は、本家の聖母教会のぶどう園をゆずりうけたファルケンベルク社が、リープフラウミルヒの元祖ワインとして名付けたもの。ヨーロッパの英雄を、旅人を、町人を微笑ませてきたワインのルーツなのです。
-
-
-
聖母教会の修道僧の祝福をうけてつくられた「マドンナ」。このワインと町と教会の物語は、それだけで終わりません。17世紀から長くつづいた戦争で、悲しいことに町も教会も荒廃していきました。気の遠くなるような時をへて19世紀初頭、「聖母教会」のぶどう畑を受け維いだのはファルケンベルク社です。すぐに荒れ果てたぶどう畑の修復にとりかかりました。そのとき、奇跡がおこりました。1689 年の戦乱以来、行方がわからなくなっていた礼拝堂の聖母像(マドンナ)がそのぶどう畑から発見されたのです。数百年の眠りから目をさますように発見された聖母像。またぶどうを栽培しワインづくりをすることを慈しんで現れたのかもしれません。いまでは、この聖母像はぶどう園内に大切に祀られ、ワインづくりに携わる地元の人々の信仰を集めています。ワインづくりの守り神にもなっている聖母像。聖母教会と祈りをこめて、ワイン「マドンナ」のラベルにもその姿が描かれています。
-
ヴォルムスのあるラインヘッセン地域は、ワインの生産地として名高く、ぶどうの栽培に理想的な条件が揃っています。北国の厳しい気候条件の中で育ったぶどうは、酸が強く、その特徴を風味にいかすために独特の製法でワインを醸造。豊かな昧わいがありながらすっきり飲みやすく、フルーティで華やかな香りがやさしく語りかけるような、果実の香りを深く楽しめるワインです。世界で愛される「マドンナ」は、1972年から日本の食卓を彩っています。
-
-
-
-
1786年創業、現在の社長は創始者から直系7代目。「220年を越える歴史」とひと言でいっても、その間にはフランス革命があり、近年には二度の世界大戦もありました。ぶどう畑もワインも、激動の時代に翻弄されていったのは言うまでもありません。いまドイツワインの代名詞とも言われる「リープフラウミルヒ(聖母の乳)」を醸造していた聖母教会のぶどう畑も例外ではありませんでした。昔から旅人や巡礼者を癒していたワインのぶどう畑も、18世紀末にはすっかり荒れ果てていたのです。
-
-
19世紀に入り、その畑の大半を譲り受け復興させたのが、創始者P·J・ファルケンベルクです。 その畑の復興の最中に、百年あまりものあいだ行方不明になっていた礼拝堂の聖母像がみつかったのは、それからの彼の仕事を予言するような有名な話です。そして彼はリープフラウミルヒの品質を磨き、世界に旋風を巻き起こしました。
-
-
-
フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーは、1838年9月29日付の友人への手紙に「このリープフラウミルヒを飲むだけでも、再びヴォルムスに来たいものだ」と記し、イギリスの文豪チャールズ・ディケンズは、しばしばファルケンベルク家を訪れ、その素晴らしさを1846年6月25日付の直筆手紙に書き残しています。
-
-
やがて、その名声にのって「リープフラウミルヒ」を名乗るワインは、とめどなく増えていきました。 1908年のワイン法の制定時に諮問を受けたファンケルベルク社は、多くの醸造元を想い、より広い概念として「リープフラウミルヒ」の名前を使うことに賛成しました。そして元祖であるファルケンベルク社がつくるリープフラウミルヒは、掘り起こされた聖母像に敬意を評して「マドンナ」と名付けました。リープフラウミルヒの育て親としての自信と誇りをこめた名前です。
-
-