この料理に合うワイン

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1st

マクマレー ロシアンリヴァーヴァレー ピノ・ノワール 

マクマレー ロシアンリヴァーヴァレー ピノ・ノワール

アメリカ
ぶどう品種 ピノ・ノワール

今回の料理はミートパイです。ミートパイとは、現代では、パイ生地にひき肉などを詰めたパイのことで、世界中で作られます。パイの起源については諸説あります。古いものでは、紀元前6000年頃の新石器時代に遡るという説もあります。古代エジプトの墓の壁画や古代ギリシャ・ローマの文献にはパイそっくりの食べ物が描かれています。ただ、この初期のパイの生地部分はフライパン替わりで、堅くて食べることが出来なかったようです。なぜ、このようなパイになったのか?については「火と人間との関わり」を整理する必要があります。ヒト属(ホモ属)はおよそ200万年前にアフリカでアウストラロピテクス属から別属として分化したと言う説が主流です。我々「ヒト」の属するホモ・サピエンスは解剖学的には、少なくとも30万年前にアフリカで出現したと言われています。アフリカからヨーロッパやアジアに広く生息したホモ・エレクトゥスや、ヨーロッパに生息したホモ・ネアンデルターレンシスなど、すでに絶滅したヒト属の種も幾つか確認されています。ホモ・サピエンス以前の猿人だった時代にもヒト属は火と関わりがありました。落雷などの自然発火による山火事に巻き込まれた動物を食べた時に、適度に加熱された肉の美味しさを知った事でしょう。でもその頃のヒト属は「火を制御する術」を知りませんでした。ヒト属による最古の火の制御の学説は、200万年前から約79万年前まで広くありますが、約79万年前と推定されるイスラエルのゴラン高原のヤコブ橋の遺跡で発見された、ホモ・エレクトゥスの「小さな木灰痕跡」は、学術的に「火を制御した証拠」として広く支持されています。「火を制御する術」を知ったホモ属は、最初は直火で、枝に刺した肉などを炙って食べました。程なく、火で熱せられた石の上で食べ物を焼いたり、厚く積もった灰に木の葉っぱで包んだ食べ物を埋めて蒸し焼きにする技術も発明されます。また、平らで丈夫な石を選んで、それを熱して、麦の粉を水に溶いたものを、現代のホットケーキのように焼いてパンの様にして食べていました。次の「火を制御する革命的技術」は土器です。粘土を練って容器形状にして火で焼き固めて堅い土器を作りました。この土器の制作はメソポタミア・エジプト・インド・中国や日本で、始まりました。煮たり炊いたりする事で、生で食べるよりも各段に美味しくなり、今までは硬くて食べることが出来なかった物も、柔らかく食べることが出来るようになったり、灰汁が強かったり弱い毒を含む物も、食べる事が出来るようになりました。ちなみに日本の縄文式土器は、13000年くらい前から作られており、世界最古の土器のグループのひとつだと言われています。火を焚き調理をするやり方も進化していきます。最初は薪の周りに3か所石を置き、そこに土器を置きました。その火の周囲に石を敷き詰めて、壁を作ったら熱効率が格段に高まりました。石を粘土に置き換えて、竈(かまど)となりました。そうすると調理者が裸火に曝されなくなり、より高温での調理も出来るようになりました。竈の原型が出来たら、大型化してパンを焼くような窯にも簡単に応用する事が出来ます。でも古代エジプトでは円錐型のパンが直火焼きで作られていたとされる証拠が見つかっていますので、今から5000年くらい前までは、大型の竈は無かったか、余り普及していなかったのかもしれません。ここでやっとパイの起源の紀元前6000年頃の話に戻ってくるのです。安定的な高温が作れなかったこの時代に、貴重な肉を焦げ焦げにして駄目にすること無く美味しく加熱する為には、分厚く包んだパイ生地を犠牲にする必要があったのです。オックスフォード英語辞典によると、パイに関する最初の記録は1303年、イギリス、ヨークシャーのボルトン修道院の帳簿だそうです。なんとそのパイも紀元前6000年頃からあまり進化しておらず、外は堅くて美味しくなかったそうです。中身の肉は修道院のお客様や位の高い修道僧が食べ、外側は食べないか、もしくは堅い中でも比較的柔らかい部分だけを下僕達が食べていたと推測されています。毎回無駄になる麦製の外側に代わって陶器製のパイ台が作られたのは16世紀になってからです。陶器製のパイ台が作られた後にパイ生地も進化をし始め、サクサクしたパイ生地を作るためにバターと小麦粉と塩を混ぜたパフペーストが使われるようになりました。1615年にジャーヴェイス・マーカムがペーストをこねて薄く何度も伸ばし、バターを重ねるという技法を編み出し、これによって肉を包むパイやタルト用のサクサクしたバターペストリーの原型が完成したのです。
今回の鈴木薫先生に考案していただいた、ワインスクエア流のワインに良く合うミートパイでは、肉は合い挽き肉を使いました。副素材は、玉ねぎ、セロリ、マッシュルーム、ミックスナッツです。香り付けはタイム、シナモン、味付けには赤ワイン、バルサミコ酢を使いました。またイギリスに縁のある料理にちなんでリーペリンソースも使いました。このミートパイにテイスティングメンバーが選んだイチオシワインはマクマレー ロシアンリヴァーヴァレー ピノ・ノワールでした。皆様は俳優のフレッド・マクマレーをご存知でしょうか?
「おお!『深夜の告白』の!!」
と、仰る方は相当な映画通です。フレッド・マクマレーは第一次世界大戦後に活動をしていた俳優で、最も有名な役はビリー・ワイルダー監督の1944年の「ダブル・インデムニティ(邦題は深夜の告白)」でした。1959年から1973年にかけて、マクマレーは「ザ・シャギー・ドッグ」「ザ・アセント・マインド・プロフェッサー」「フォロー・ミー、ボーイズ!」、「ハッピーエスト・ミリオネア」など、多数のディズニー映画にも出演しました。テレビシリーズ「マイ・スリー・サンズ」ではスティーブ・ダグラス役も演じました。マクマレーは浪費をしない堅実な投資家でもありました。大当たりの「深夜の告白」を主演する前である1941年には、約100年にわたりドライフルーツの栽培が行われていた農場を、知人から買い取りました。地道に耕作面積を拡大し、戦時中から戦後にかけては軍に果実や野菜、肉牛を供出し農場の存在を広く知らしめました。その後、この土地がワイン用のぶどう栽培に向いていると考えたE&Jガロ社が、農場を引き継ぎました。そして醸造用ぶどうを栽培し始めて、マクマレーの名を冠したエステートヴィンヤーズが誕生したのです。マクマレーヴィンヤーズは、カリフォルニアの中でも特に優れたピノ・ノワールの産地であるソノマのロシアン リヴァー ヴァレーAVA内に4つのヴィンヤードを所有しています。そして、それぞれの個性を活かしたアッサンブラージュによって、非常にシルキーな口当たりの優良なピノ・ノワールがつくられています。収穫後、最低2日間の低温浸漬を行います。その事によって、鮮やかな色とデリケートなフレーバーが抽出されます。ステンレスタンクによる発酵後、フレンチオークで8~10ヶ月熟成します。ぶどうの出来により新樽比率は変わりますが、マリアージュ実験につかった2021ヴィンテージでは新樽が20%で、残りが旧樽です。グラスからはスミレやラベンダーの様な紫系の花の香りやフランボワーズやザクロなどの赤いベリーを思わせる香りが豊かに立ち昇ります。スワリング(香りを立たせる為グラスを回す)するとダークチェリーのような色の濃い果物のイメージも広がります。樽由来のバニラやローストされた香りも、ふわりと香ってきます。口に含むと凝縮感のある果実味が素直に広がる、シルキーな口当たりのワインです。ミートパイと合わせると、パイに閉じ込められた肉の旨味をワインの充実した果実味ががっちり受け止めているのが判ります。
「ミートパイは、やっぱりご馳走料理ですよね」
「うん、食卓に出てくる時の存在感が半端ないです」
「中の肉の味付けには色んなパターンがあるのでしょうが、今回は赤ワインをたっぷりと、バルサミコ酢をしっかりと効かせています」
「バルサミコ酢の酸味がマリアージュのポイントになっている気がします」
「ピノ・ノワールの、果実の凝縮感がしっかりとあるので、ワインそのものの酸とバルサミコの酸の連合軍にでも、上手く対応して調和出来るのだと思います」
「パイ生地の、少し焦げた香りと、新樽のニュアンスも素敵に共鳴しています」
「しっかりとした肉感とボリューム感のあるパイの味わいに負けないのは、ワインとしての味わいの奥行があるからだと思いますね」
皆様も、ここぞ!というご馳走の時に、是非、このワインスクエア流のワインに良く合うミートパイの事を思い出してください。そしてマクマレー ロシアンリヴァーヴァレー ピノ・ノワールとの素晴らしいマリアージュをご体験ください。

2位に選ばれたのは、サントリーフロムファーム 岩垂原メルロでした。サントリーのワイナリーはボルドーにシャトー ラグランジュ、ドイツのラインガウにロバートヴァイルがあり、国内は山梨県の登美の丘ワイナリーと新潟県の岩の原葡萄園と、本日2位のサントリーフロムファーム 岩垂原メルロを醸している長野県の塩尻ワイナリーの合計5か所があります。一番最初のワイナリーは1934年に経営を継承した岩の原葡萄園で、次が1936年の塩尻ワイナリー、3番目が同じ1936年の登美の丘ワイナリーです。当時、赤玉ポート(現スイート)ワイン(以下、赤玉)が爆発的に売れていたのですが、国際事情が悪化してきて、赤玉をつくるための原酒をスペインやポルトガルから調達する事が難しくなってきていたのです。塩尻ではその頃、既にナイアガラやコンコードを沢山栽培していたのです。塩尻ワイナリーでの赤玉の生産は軌道に乗りました。日本のワイン消費の中心は、長らく甘く飲みやすい甘味果実酒主体でしたが、東京オリンピックや大阪万博をきっかけとして、徐々に本格的な辛口ワインの需要も高まりを見せ、1972年からの第一次ワインブームへと繋がっていきます。「金曜日は、パン買って、花買って、ワインを買って帰ります~♪」の、あの有名なCMで火が付いたと言われている第一次ワインブームです。本格的な辛口ワインも少しずつ飲まれるようになりました。塩尻ワイナリーでも1970年代後半には契約栽培農家の皆様にメルロやマスカット・ベーリーAの苗木を配布し、辛口ワイン向けのぶどう栽培を開始し、需要の変化への対応の準備をしていました。
今回マリアージュ実験に使った岩垂原メルロのヴィンテージは2019年で、なかなか厳しい気象条件の年でした。夏は雨が多く、土壌水分が多くなってしまいました。水捌けの大変良い岩垂原エリアですが、流石に排水の限界を超えていたのです。そのためぶどうの果粒が大きくなった年でした。9月下旬から、また雨が降り、晩腐病の広がりと、大事な最後の完熟を天秤に掛け、苦しい決断を迫られた年でした。それでも有力な畑の収穫は10月後半まで引っ張りました。それは近年最も遅い収穫の年だったのでした。房での選果後に、ワイナリーの選果台で粒選果を実施しました。18カ月の樽熟成は新樽比率50%で行いました。 グラスに注ぐと、やや濃いめのラズベリーレッドです。素直なブルーベリーやサワーチェリーなどの果実を連想させる果実の香りに、針葉樹や、塩尻らしい柘植の葉のトーンがあります。そこに樽由来の甘香ばしいスパイシーさが溶け込んでいます。充分な果実味と豊かな酸味の程良いバランス感で、しっかりとした骨格を感じさせる緻密なタンニンと岩垂原らしい大地の力を感じさせてくれるワインです。合い挽き肉の肉汁の旨みと岩垂原の力のある構造とが良くマッチしていました。シナモンやタイムのスパイス感と岩垂原のアーシーなニュアンスとも心地良く共鳴していました。パイ生地のバターの風味やタネのなかのナッツの香ばしさとワインの風味とが、お互いを高め合う素敵なマリアージュでした。

2nd

サントリーフロムファーム 岩垂原メルロ 

サントリーフロムファーム 岩垂原メルロ

日本
ぶどう品種 メルロ

3位はドメーヌ バロン ド ロートシルト サガ R ボルドー ルージュでした。フランスにスティルワインの銘醸地は数あれど、東西の横綱を選ぶならば、ボルドー地方とブルゴーニュ地方であるのは異論が無い所でしょう。そのボルドー地方の中でもメドック地区の地位を不動のものにしたのは1855年のパリ万博の時に行われた格付けです。ワインに、お詳しい方なら1855年当時に1級に選ばれたのが4つのシャトーである事はご存知かと思いますが、この4つには厳然とした序列があったのです。筆頭格付はシャトー ラフィット・ロートシルト、2位はシャトー マルゴー、3位がシャトー ラトゥールで4位はシャトー オー・ブリオンです。フランスのボルドーに本拠を構えるドメーヌ バロン ド ロートシルト ラフィット(Domaines Barons de Rothschild LAFITE)社(以下DBRラフィット)は、筆頭格付であるシャトー ラフィットを保有し、長年大切に守り続けながら、様々なワインづくりに挑戦してきました。DBRラフィットは、ボルドーワインの王様であり、そのロゴである「5本の矢」はボルドー格付王者の証なのです。まさに本格ご褒美ボルドーワインと言えるのが「サガ R」なのです。
サガ R ボルドー ルージュをグラスに注ぐと、少し濃い目のラズベリーレッドです。熟したプラムやブルーベリーなどを連想させる甘い果実の香りに、瑞々しいスミレの花を思わせる涼やかさがあります。口に含むと爽やかな酸味と穏やかで肌理の細かなタンニンが特長の、ミディアムボディの赤ワインです。ミートパイと合わせるとワインの爽やかな酸味とミートパイのバルサミコの酸とか丁度良い塩梅でした。かりっと焼かれたパイ生地のサクサク感と、軽やかなタッチのサガ R ボルドー ルージュとが美味しく調和した素敵なマリアージュでした。

3rd

ドメーヌ バロン ド ロートシルト サガ R ボルドー ルージュ 

ドメーヌ バロン ド ロートシルト サガ R ボルドー ルージュ

フランス
ぶどう品種 メルロ、カベルネ・ソーヴィニヨン

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